1912年ホワイトスター汽船の出資者ジョンピアモント・モーガンはタイタニック号の乗船を出航24時間前にキャンセルした。
彼のオーダーしたB52、54、56スイートはBデッキ左舷前部大階段後方に位置していた。 |
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それからというもの、タキシードの新調、スケジュールの調整と時間は驚くほど早く過ぎて行った。 |
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シャンパンにフランス料理を味わいながら車窓を楽しむ2時間35分は素晴らしい序曲である。 Queenstown |
キャビンに戻り荷を解く暇もなく、ライフボートドリルが実施される。
映画タイタニック公開のあとだからでもなかろうが、ライフボートドリル(避難訓練)はいままで乗船した船の中で一番厳格であった。
部屋に戻り船内新聞を読むと明日のコブでの観光申し込みが午後6時で締め切られ、すでに6時30分になろうとしている。 |
コブへの入港は入り江が美しく感動的であった。午前はシャトルバスで市内観光し、午後は伝統あるウイスキー作りを学ぶツアーへ参加した。 ウイスキーの語源はアイルランド語である。21時過ぎ、出航を見るため早めに食事を済ませ後部甲板へ上がる。 QE2の甲板はほとんどスクリーンで覆われているため、わずかなボート甲板は大変混雑した。 今迄、そして今後起こりうるすべてのことは、本航海の間際にキュナードの資本がアメリカに移ったことに起因するであろう。 |
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大西洋に出てからの5日間はおもいのほか時間のたつのが早く、たぶん言葉がうまく通じないせいであろう。 英国式のサービスには説明が少なく、その都度何でも尋ねればよいにしても理解するには時間を要す。グリルのメニューにしても一般的な活字体ではなく、美しい筆記体である。 リピーターが多いこの大西洋横断に日本人が乗っていることに、彼らは驚きを隠さなかった。 決められたレストランとクイーンズグリルラウンジ以外、全ての乗客がパブリックスペースを共用し、優雅な船内生活とは無縁である。 だからと言って、新たに生まれたゴールデンライオンパブまで否定するものでなく、ロンドンパブそのものの雰囲気は心地よく、つい杯を重ねてしまう。 甲板は風が強く、ウォーキングやゲームを行う以外、外に居ることはなかった。Royal Promenadeは想像したものと異なったが、静かなプロムナードもUpper & Quarter deckにあった。 QE2では終日航海中いつ何時でもキャビアが食べられる。帰りに乗ったコンコルドも貝のスプーンを付けて提供されたが、QE2は最高級のベルーガであった。 |