Queen Elizabeth 2
大西洋横断の伝統を求めて

1912年ホワイトスター汽船の出資者ジョンピアモント・モーガンはタイタニック号の乗船を出航24時間前にキャンセルした。 彼のオーダーしたB52、54、56スイートはBデッキ左舷前部大階段後方に位置していた。
  4月11日、QE2の大西洋横断にキャンセルが出たと連絡が入る。
米国時間4月10日、その昔タイタニック号がサウザンプトンを出航した日である。 ”運が開けた”というべきか5月29日の西行き切符は米国でも異常に人気が高く、運を天に委ねる気持ちであった。 なお信じられないことは続く。キャビン2072は2デッキの左舷ミッドシップ・ロビー後方にあった。

それからというもの、タキシードの新調、スケジュールの調整と時間は驚くほど早く過ぎて行った。
  5月28日、英国航空でヒースロー空港のターミナル4に降り立つ。ビクトリア駅隣のグロブナーホテルにチェックインしてパブを訪ねる。 パブでは手を上げたり声を出してバーマンの注意を引くのはマナーに反する。但し、カウンターの混んでいる時は大声で注文しないと順番が回ってこない。 スタウト2分の1パイントだけオーダーしてスタンドで観察する。彼らは自分のテーブルの飲み代を交互に出し合う、ラウンドというらしいが、映画の3等船客たちをおもい出す。
パブを訪ねた後はアポロ・ヴィクトリア・シアターへ、1984年にこの劇場を改築して上演開始され、今なお評判のミュージカル「スターライト・エクスプレス」を一番高いStalls席で鑑賞する。
  5月29日、オプションでサウザンプトン行きのオリエント・エクスプレスに乗車。キュナードの歴史的な大西洋横断は1920年代の豪華な装飾が施されたプルマンカーから始まる。 実際にプルマンカーが活躍したのはクイーンメリーの時代だとおもうが、等級別のポートトレインは1912年当時既に運行されていた。

シャンパンにフランス料理を味わいながら車窓を楽しむ2時間35分は素晴らしい序曲である。
オリエント・エクスプレスは途中サウザンプトン空港近くでバスツアー客を下ろし本線と分離、QE2ターミナルのプラットホームへと横付けされた。 プラットホームから直接ターミナルビルへ、船へと便利にはなっているがもはや映画のようにギャングウエイを渡る感動はない。 乗船後すぐ後部デッキへ、音楽隊の演奏に見送られて出航、サウザンプトン港に往時の面影はないが、寄り添うたくさんのタグボートにマンモスライナーQE2を実感する。

Queenstown

キャビンに戻り荷を解く暇もなく、ライフボートドリルが実施される。 映画タイタニック公開のあとだからでもなかろうが、ライフボートドリル(避難訓練)はいままで乗船した船の中で一番厳格であった。 部屋に戻り船内新聞を読むと明日のコブでの観光申し込みが午後6時で締め切られ、すでに6時30分になろうとしている。
コブ(旧クイーンズタウン)に寄航するからこの航海に決めたのだが、キュナード社からコブでのアクティビティについては事前に何も知らされていなかった。 とにかくアッパーデッキのツアーディスクに出向いた。外人客数名がやはり慣れない船内にうろうろしている。 占めた、一人がクローズしたツアーディスクのカーテンを引くと、最初はノーと言った担当者であるが降参してカーテンの中へ導いた。 諸般の事情はあっただろうが、もっとゆとりのあるプログラムを組むべきではないか。
クイーンズグリルでは2人席を申し込んであったのに4人席であった。 それだけならまだしも、隣席者は喫煙を希望し、それを拒否するとのちに同席者が英語圏(英国人)を希望しているので2人席に代わってくれという。 こちらが希望したわけではなく、最初から2人席に案内してくれれば不愉快な思いをせずに済んだのにとおもう。 新たなテーブルのうぇいとれすは感じがよかったが、常連客の機嫌を窺う最初のうぇいとれすは、その後顔を合わせても挨拶を交わさなかった。
客室係のスーザンはとても気を配ってくれ、また注意深かった。部屋は常に清潔が保たれ、毎日フルーツが届けられた。 彼女はこちらのわがままをよろこんで聞いてくれるプロのメイドだった。船内プログラムはメニューが豊富で、翻訳に苦労した。

コブへの入港は入り江が美しく感動的であった。午前はシャトルバスで市内観光し、午後は伝統あるウイスキー作りを学ぶツアーへ参加した。 ウイスキーの語源はアイルランド語である。21時過ぎ、出航を見るため早めに食事を済ませ後部甲板へ上がる。 QE2の甲板はほとんどスクリーンで覆われているため、わずかなボート甲板は大変混雑した。

今迄、そして今後起こりうるすべてのことは、本航海の間際にキュナードの資本がアメリカに移ったことに起因するであろう。

大西洋に出てからの5日間はおもいのほか時間のたつのが早く、たぶん言葉がうまく通じないせいであろう。 英国式のサービスには説明が少なく、その都度何でも尋ねればよいにしても理解するには時間を要す。グリルのメニューにしても一般的な活字体ではなく、美しい筆記体である。 リピーターが多いこの大西洋横断に日本人が乗っていることに、彼らは驚きを隠さなかった。 決められたレストランとクイーンズグリルラウンジ以外、全ての乗客がパブリックスペースを共用し、優雅な船内生活とは無縁である。 だからと言って、新たに生まれたゴールデンライオンパブまで否定するものでなく、ロンドンパブそのものの雰囲気は心地よく、つい杯を重ねてしまう。 甲板は風が強く、ウォーキングやゲームを行う以外、外に居ることはなかった。Royal Promenadeは想像したものと異なったが、静かなプロムナードもUpper & Quarter deckにあった。 QE2では終日航海中いつ何時でもキャビアが食べられる。帰りに乗ったコンコルドも貝のスプーンを付けて提供されたが、QE2は最高級のベルーガであった。

QE2では航海中毎日、正午からよく正午までに何マイル走るかを当てるゲームが催される。 驚いたことに、本航海中の1日平均マイルは690マイルで、4日目の午後にはプールの水が飛び出す時化に遭遇するもほとんど変化なかった。

平均28ノット近い走りがどんなに素晴らしいものか、映画のように波しぶきが立ち、壁に耳をやると風の音が聞こえるのだから。

北大西洋航路でスピードを必要とした時代は終わった。
1998年のこの航海を最後にN.Yまでの大西洋横断片道日数は6泊7日になり引退まで続いた。

New York

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