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Queen Mary 2

“フランスの香り”

4月12日は早朝から、サザンプトンのレッドファンネルフェリー埠頭の先端にあるパーキングエリアに、QM2の入港を見ようと人々が集まっていた。その中の一人がどこかと連絡を取り、入港の遅れが知らされる。私はホテルにて一旦朝食を済ませ出直した。午前10時頃には、人々の数はピア先端を埋め尽くした。若い人より高齢者、それもキュナードファンの女性が多かった。そして午前11時、ついにQM2と対面。今まで見たことの無い巨大な建造物であり、アトランティックライナーとしての威風堂々とした姿は、4時間の憂鬱をも吹き飛ばす感動を私に与えた。

私のサザンプトンでの常宿は、DE VERE GRANDHARBOURという、メイフラワーパークとウォール(防壁)に面したミシュランの評価を得たホテルであった。入港の遅れから、チェックアウトの時刻を過ぎてしまった。ホテルに戻ると、キュナード社のスタッフが待機しており、トランスファーのバスで到着したゲストとともに飲物と食事が用意されたメイフラワールームというラウンジに通された。入港の遅れすなわち乗船の遅れが生じることから、キュナード社が早急に手配し用意したものであった。

この素早い対応こそキュナード社が培ってきたものであろう、今日まで数々の伝説が生まれた。ホテル側もこれらの人々を大切にもてなし、急なことにもかかわらず、細やかな気配りを見せた。個人的にはホテルマネージャーとは面識があり、手続き一切を代行していただき、その後も逐次状況が伝えられ有り難かった。
入港遅れの原因について、プリントが早急に配られ、そこには予期せぬ技術上の問題とだけ書かれていたが、後日バウスラスターの蓋の不具合であったことが判明している。
まあ、ここまでは完璧とも見えたが、残念なことに乗船を16時と見込んだキュナードの読みには誤算が生じた。港へのバスは予定時刻を過ぎても来ず、結局迎えが来たのが17時、チェックインに30台以上のパソコンを用意して迅速な乗船手続きを試みたが、システムがトラブって復旧に30分以上かかってしまった。もっとも今回の乗客は予約から2年あまりこの日を待ち続けたという人が大半で、トラブルより、期待が大きく和やかなムードに包まれていた。
私と母の案内されたエリザベススイートは、10デッキ右舷前方の、最も眺めのよい位置を占有していた。2つの広いリビングとジャグジー付バスルーム、ベッドルーム、ウォークインクロゼット、そして7デッキから上を移動することのできる専用エレベーターを備え、前方のリビングには双眼鏡、もうひとつのリビングには大きなバルコニーが付いていた。111uの広さのとても贅沢なつくりである。


Queen Elizabeth Suites-Q2

ところがこの晩、まったく予期せぬトラブルに見舞われた。
この日は乗船の遅れから、ディナーは午後10時過ぎまで続いた。何かと慌ただしく、私の母がバスルームに於いて注意深く、漏水を発見したのは深夜であった。
小さなトラブルが就航直後に発生するのは特別なことではない。使いながら改善していくのは新築住宅も同じである。ところが排水口がない?あちこち電話したがつながらず、パーサーズオフィスに走り flood my bathroom と言った。フラットな床が災いし、修繕係が来たときにはドレッシングルームの手前まで水浸しだった。仮修理は午前1時半に終了し、さらに翌日半日修理に要した。乗船中の日本人クルーズコーディネーターに告げたが、彼は誠意が無く、面倒なことを避けている様子だった。

これについては後述でもう少し詳細に記すとして、その後は素晴らしい航海が続いた。セントピーターポートではバトラーを介しキャビンにテンダーボートの乗船引換券が届けられ、時間に縛られることなく町の散策を楽しんだ。シェルブールでは世界遺産のひとつ、モンサンミッシェルの修道院を訪れた。連合軍は第二次大戦において、ノルマンディ上陸作戦の成功によって勝利を勝ち取ったが、大戦中に延べ160万人近いと言われる人員をアメリカやオーストラリアからヨーロッパへと運んだのは、常時30ノット近い高速を誇ったキュナードの2隻のクイーンであった。
今世紀初頭には新しいオーシャンライナーを建造できる造船所は、かって名船”ノルマンディ”を建造したサン=ナゼール(フランス)のアトランティック造船所しかなく、不思議な巡り合わせである。QM2がシェルブールへの入港機会を得たことにより、往年の大西洋航路で使用されていた専用岸壁が蘇り、歴史を刻んだターミナルビルの周りにはクラシックカーが集められた。乗客には入港日付の入ったウエルカムポストカードが配られ、初寄港を祝う様々な展示、記念品の販売が行われた。
シェルブール出航は深夜11時にもかかわらず、埠頭は隙間無く人々で埋め尽くされ、大西洋航路の全盛時を彷彿させる素晴らしい見送りであった。
このクルーズではフォーマル、インフォーマルまたはフォーマル各1日、カジュアル2日のドレスコードが組まれたが、毎日フォーマルを着こなす人も多数いた。乗船2日目にはウォリック船長によるパーティ、メインショーにオペラが催された。4日目は航海日で、非常によくできたスケジュールとプログラムであった。

私達は7デッキのキャニオンランチスパ(航海日1日$25、何回でも出入自由)に入り、地中海レストラン、トッドイングリッシュ(予約制)での昼食を楽しんだ。スイートにはこのスパのシャンプーやローションが常備されており、一方のレストランは有料ではあるが、私たちの注文したシーフードはとても新鮮で、料金も街中と比べ高いとは感じなかった。
船内のパブリックスペースはいずれもゆったりしており、とくに7デッキの左舷はプロムナード風に椅子が随所に用意されており、船内を負担少なく移動できる配慮が伺える。
カジュアルレストランのキングスコートだけはイングリッシュブレックファーストを楽しまない世代で混雑していた。QM2ではチップを下船時にクレジットカードから引くシステムを採用しているが、新造船の就航は乗組員のモチベーションを高める効果が感じられた。

Click! Port of Cherbourg
Cherbourg /Transatlantic terminal

一方で習慣というのはすぐに変われるものでなく、クイーンズグリルの最終日のディナーに、ほとんどの人が積み増しのチップを用意した。私達も毎日のメニューをまとめて各々記念にいただき、10ドルを手渡した。

この船はオーシャンライナーである。短い航海では、長い通廊に気が遠くなるかも知れないが、無寄航で航海する日数の長い洋上では、その真価が発揮され、どの船よりも快適であるに違いない。
ミッキーアリソン氏がキュナードに資金援助しクイーンメリー2の建造が決まったのは映画“タイタニック”の公開後である。完成し得なかった時代の巨大ライナーの夢を92年後の今日成し遂げたとおもうのは私だけだろうか?


St.Peter Port

ところで私は、今クルーズにおける日本人コーディネーターの姿勢についても記さねばならない。というのも、今回の日本人乗船はわずか4名ではあったが、その中の誰もが販売店から、日本人の世話に当たる人が船内にいることを事前に知らされていた。ところが、その所在を知ったのはボートドリルの終了する時で、その後も連絡はつかない、欧米人なら当然するべき交渉(前述のバスル−ムの件について)を依頼したのに回答を得られない等、ほとんど機能しなかった。(もう一組の方は、ボートドリルにとまどい、セントピーターポートでの上陸もあきらめた。)
以前、大手海運会社系の手配クルーズでは、トラブル発生時に現地支店長がしっかりサポートしてくれた。
販売代理店はコーディネーターのクオリティにもっと気を配るべきである。

−News−
2005年より、キュナードの日本地区販売総代理店がクルーズ バケーションになります。同社はプリンセス クルーズの販売などで実績があり、日本人に対するきめ細かなサービスが期待できます。

命名式の様子は下をクリック

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