私達(親子)のキャビンは6デッキ左舷中央に位置し、バスタブと大きな1枚窓があり、夕暮れからはみなとみらいの宝石を散りばめたような輝きに暫し時間の経つのを忘れた。2つあるメインダイニングのうちメディナレストランに近く、ダイニングカードで船尾のアレキサンダーレストランが指定されていたことに不合理を感じ、変更のリクエストを出した。後に日本人を集めたテーブルを用意していたことを知ったが、最後尾のレストランを利用するには階段を上がり下りせねばならず、3日の晩からは希望どおりメディナレストランで英国人と一緒の6人テーブルに加わった。
初対面、簡単な挨拶をして沈黙したところに切り出したのは私の左に座っていたクリスティであった。彼女はジス イズ キャシー、フローレンス、ケンとテーブルメイトを紹介した。フローレンスとケンは体が不自由で、それぞれキャシーとクリスティが介護していた。
呼吸器を装着しているフローレンスの幸せそうな顔はとくに印象に残った。クリスティとは片言でも話が通じたが、少し離れたキャシーとの会話は苦労した。でも互いに黙ってしまうと、キャシーは喋らなければだめと一生懸命にディナーの場の雰囲気を盛り上げた。
価値観の違いを顕著に感じたのは12デッキのサウナへ行った時のことであった。フォーマルディナーの前に一汗を流そうと15分で更衣室に戻ったら、"you are quickly"と言われ、たっぷり1時間ほど会話に引き込まれてしまった。彼らにはサウナそのものよりこの時間のほうが大切なのである。
4日の朝、日本最後の寄港地、鹿児島の谷山港に入港した。あいにく桜島は霞んで冷たい霙交じりの雨が一時降った程、冷え込んでいた。南薩地方の温泉で過ごした私たちは港へのタクシーの中、今後の天候についてラジオに聞き入っていた。
「あの船は今晩出港するのですか。」(タクシーの)運転手が心配げに行った。説明では発達した低気圧がすぐ近くまで来ており、内航船には欠航が出ているとのことであった。多くの乗客はそんな心配をよそに高いプロムナードデッキに立ち、黄昏時の出航に立ち会ってくれた地元の人たち、そして遠ざかる岸壁を脳裏に焼き付けていた。
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