5日の午後、金婚式を迎えられた橋本夫妻のプライベートパーティが13デッキのヒマラヤルームで開かれ、お祝いさせていただいた。時折窓外の海の色が濁っているなあとおもったが、大時化の後でもあり、黄海の流れと知ったのはだいぶ後になってからであった。一晩空けてまたクリスティらとテーブルを共にし、お互いの鹿児島でのこと、明日の予定などを話す。クリスティには前夜「ボルドー」で食事することを伝えてあったので、さっそく揺れについてたずねられた。キャシーは、常にフローレンスと同じメニューを取っていた。彼女らのは特別食で、いつも前日にウエイターを介してオーダーしていた。飲み物に関しては、キャシーはアイリッシュコーヒーのような飲み物をいつも2〜3杯飲んでいた。クリスティがあれはブランデーとリキュールが入った強い酒だと教えてくれた。私がソムリエに同じものをくれと言うと、キャシーは微笑んだ。以来ソムリエは、このスペシャルドリンクをいつも私にも用意してくれた。その後20時頃、キャシーとフローレンスを7デッキのカジノ "モンテカルロ"で見かけたが、カジノが突然クローズされることになり、キャシーは少々不機嫌な様子であった。本船はいつの間にか上海の港外に達しており、予定入港時刻よりも12時間早かった。
本船が停泊したのは蒼白い光を放つだけで人気のないコンテナ埠頭だった。深夜になり、本船のセキュリティオフィサーの案内のもと、数名の中国人が船内を訪れた。出入り口の近くには冷たい空気が流れ、私のキャビンの窓の下には、夜通し警備に当たる1台のパトカーの姿があった。
3月6日早朝、中国側の入国許可の遅れから6時前に起きなければならなかった。外は曇り空ともスモッグとも見分けがつかず、昨夜連絡のあったパスポートの携帯は撤回されたものの、両替は7デッキのアンダーソンラウンジにて、出張の中国銀行との間で行わなければならないなど、おもぐるしい空気であった。加えて上海の市内観光は、かなり期待はずれなものであった。帰船後このことを一応コーディネーターに伝えると、さすがに企画したほうも悪いとおもったのか、ツアー料金の割戻しがあった。ディナーの席上でも現地の受け入れについて評価はよくなかった。ちなみにクリスティは日本の鎌倉ツアーが良かったそうである。今宵はカジノもないので、早く寝ることにする。
3月7日未明、本船が予定通り出航してないことに気づいた。カーテンの隙間から外を覗くと、昨日と変わらずパトカーが窓下に張り付いていた。出航許可は夜明けを待ち、6時過ぎから慌ただしく船員が走り回った。上海を出航して、あたりには大河を埋め尽くすように貨物船が多数いたことを知り、出航遅れは中国側の配慮であることを悟った。本船は東シナ海に出るまでは12ノットぐらいとおもわれるが、この時点では香港へ予定通り入港できる見込みであった。
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