香港までは、残すところあと2日間となり、香港下船乗客においてはこの晩がフェアウェルディナーであった。フォーマルナイトの前にP&Oの日本代理店、"クルーズバケーション"の主催でパーティがあり、少々遅れてダイニングへ移ると、我がテーブルメイトたちは既に着席して待っていた。クリスティとキャシーは以前から介護に熱心で、この船のキャビンやバリアフリーについて意見を交わしていた。クリスティがこの場でそういう話をすることに対し、突然謝ったので、私はとっさに彼女が素晴らしいショーの話をしてくれたことを思い出し、「今夜のショーは見に行くの?」とたずねた。
しかし今夜は答えが違った。クリスティはこのショーがサンフランシスコ、シドニー、そして香港との間に繰り返されることを説明すると、ケンがこのショーを好まないことを理由に「ノー」と言った。彼女は同じショーを繰り返し見ることもあったので、ケンに気を遣ったことは間違いなかった。今夜のショーは『New York New York』のようなアメリカンミュージカル風でもあり、フレンチカンカンやシドニーオリンピックの名シーンのパフォーマンスが飛び出すなどして少々お祭り的であった。極めつけはバッキンガム宮殿をバックにあらかじめ配られた小旗を振るシーンであった。
「ケンはあのダンスが好きでないの」
インターナショナルに楽しめるショーではあったが、年老いていてもひと目で紳士とわかるケンの気持ちもわかる気がした。

3月8日、オーロラは台湾海峡に差し掛かり、私達はキャビンで明日の下船に向けた荷物のパッキングをしていた。10時を過ぎた頃だとおもうが、珍しく船内放送で何か言っていた。本日は11時に乗組員の訓練が予定されており、警報も鳴った。気にも留めなかったのであるが、船が大きく波に揺れ、おかしいことに気づいた。停船していたのである。
窓に近寄ると、一面に流木が漂い、今にも接触しそうな状態であった。付近には、停船した貨物船が3隻はあった。私は7デッキのプロムナードヘ向かう途中でクリスティと出会い、状況を知った。彼女は"SHIP SANK"(船が沈んだ)、"2PEOPLE COME HERE"(本船が2人救助した)と動作を交え説明した。左舷のプロムナードでは、皆心配そうに海上に目を凝らし、乗組員は救助用にゾディアックボートを下ろす作業に追われていた。さらに上へ上がり、12デッキのビュッフェ"オランジェリー"からは、遭難した船のものとおもわれる残骸や裏返しの救命ボートが確認できた。捜索活動は午後まで続き、乗組員の一部救助が伝わると、拍手が沸いた。この騒ぎで、明朝8時の香港入港は絶望的だった。スティーブ・バーゴイン船長はオーロラに無理させることなく、午後4時過ぎに、明日の香港入港を2時間遅らし10時にすると発表した。
われわれが集うメディナレストランの55番テーブルの前では、今宵も自動演奏ピアノがいつもと変わらぬ演奏をしていた。(このピアノが心地よかったのは、キャシーのリクエストで、われわれのテーブルに合わせ音量を調整したからだろう)ディナーの最後、テーブルメイトの4人には寄せ書きをもらった。彼女らは全員、来年もワールドクルーズに参加すると言う。
その後、バルセロナのポートエージェントを介し、彼女らのサザンプトン帰港まえに、記念の写真を彼女らに送った。

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