September.11.2021
蜜柑
横須賀線は当時の帝国陸海軍の要請により、1889(明治22)年6月16日に大船ー横須賀駅間16.15kmを単線開業しました。
開業から全線電化を終える1925年までの間、客・貨列車は蒸気機関車に牽引され、45分(現在は23分)で結ばれました。隧道が旅客にとっては不快な存在であったことを、筆者は『蜜柑』の中で綴っています。隧道断面は小さく、1922年から電化工事が開始されると、馬蹄形であった煉瓦積みの両側壁が垂直化され、路盤を低下させて電化断面が確保されました。その過程において関東大震災に遭遇して、被害延長は4.8kに及びましたが、とくに田浦ー横須賀間では、崩落や坑門破壊など地形・地質に係る被害が著しく、復旧に時間を要しました。
写真は1889年に完成した第1田の浦隧道(現下り線用)の横須賀側坑口で、隧道に向け軌条が下がっていることも、なんとなくわかります。第2田の浦隧道(上り線用)は1924年に完成しました。
総延長は188.1mですが、関東大震災による修復が行われる前の総延長は187.5mでした。
芥川龍之介さんが海軍機関学校の嘱託教官時期に通勤で横須賀駅から乗った汽車での体験を元にした短編小説、蜜柑を発表したのは退官した1919(大正8)年です。当時の使用車両は鉄道院が1910年から1917年にかけて製造した基本形客車と称される17m級木造ボギー車で、車体幅は2.6mでした。作品の中で「前の席に腰を下していた」少女が「向う側から席を私の隣へ移して」と描写の二等車は腰掛を車両側壁に沿って配しており、三等車は腰掛が横形配置(クロスシート)でした。
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