March.25.2023
太鼓岩トレッキング
屋久島は、海底に形成されたマグマ溜まりが冷え固まってできた花崗岩が風雨による浸食よりも速く隆起してできた島です。
Get the best cruise vacation
March.25.2023
屋久島は、海底に形成されたマグマ溜まりが冷え固まってできた花崗岩が風雨による浸食よりも速く隆起してできた島です。
March.18.2023
3月6日から10日まで、PB101stで共に104日間を過ごしたメンバー4人と屋久島・指宿を巡った。
屋久杉の有名なウィルソン株や世界遺産の縄文杉へのルートに構成される安房森林鉄道は、元々は熊本営林局下屋久営林署の管轄で、1923年(大正12年)12月に安房~小杉谷間が762mm軌間にて開業しました。
1969年5月に小杉谷周辺の伐採計画の終了に伴い運材も終了したことにより、1970年より屋久島森林管理署による維持管理に変更され、小杉谷分岐から縄文杉方面に伸びる支線は鹿児島県に貸し付けられ、登山道として利用され、トイレなどの維持管理に必要な物資の輸送や、屋久島の土埋木や昔の切り株などの運搬(2009年に搬出終了)に使用され現在に至ります。
林野庁によると国有林の森林鉄道で現役なのは安房森林鉄道と京都大学芦生演習林の森林鉄道のみです。
2007年の台風被害による路盤流出により石塚線が休止、残存の路線は本線の荒川~小杉谷に縄文杉方面に伸びる96支線を加えた8.3kmと、屋久島電工所有区間10.7kmで、1953年に6kg軌条から、9kg軌条に敷設替えが行われました。
April.01.2010
March.31.2010
March.28.2010
前回の写真の説明から
1枚目:JAL機とNewにっぽん丸の組み合わせ。
Newにっぽん丸は当日10時に晴海出航でしたので、偶然ではなく、ANA LOUNGEにてチャンスを待っていました。
2枚目:城山を背に、旧日置駅からカーブを描き吉利へ向かう南薩線の堤。
煉瓦煙突のあるところは瓦工場です。戦後の最盛期には50あまりの工場が稼働し、町の労働人口の2割が瓦関係の仕事に従事していたといいます。この窯でも、1999年(平成11年)までこの地方特産の良質の粘土を用いた日置瓦(いぶし焼き粘土瓦)を焼いていました。
March.25.2010
昨年で廃線から25年を迎えた南薩線をテーマとした企画展が薩摩半島の西に突き出た野間半島にある笠沙(旧鹿児島県川辺郡笠沙町)フィールドミュージアムで催され、話題を呼んでいます。(1月10日~5月31日まで延長)
企画した笠沙恵比寿は今から10年前、笠沙の魅力を広めようと町の若者を中心として生まれた、笠沙の文化・風土を楽しむことのできる施設です。
じつは連休初めの21日はNewにっぽん丸が横浜に於いてお披露目される日でした。
dolphinsクラブ(にっぽん丸のリピーター組織)からお誘いがあったものの、4日前になって届いた招待状の内容は信じ難く(高齢者に配慮なく見学過程で下りエレベーターの利用を停止)、足の悪い母のため交渉するも臨機応変な処置が得られず参加そのものを辞退し、鹿児島へ飛びました。
きっかけは南薩線が廃止される前年、地元出身の青年(当時)がこの列車で通学された思い出を作詞という形でレコードに残した「南薩線」の歌が、再製(DVD化)されることを知り、制作に携わった笠沙恵比寿・学芸員の方に頒けていただいたことでした。
(補足:学芸員とは、日本の博物館法で定められた国家資格を有する専門的職員です。)
もう30年あまり昔のことです。
僕の乗ったオレンジ色の流線形をしたディーゼルカーは、伊集院駅を出ると左にカーブを切り、国鉄線(当時)と別れるとすぐに暗い森の中に吸い込まれ、長いトンネルを喘ぎながら抜け、どこに出口があるのかわからぬ雑草に覆われた駅(上日置)に停車しました。
ひとつのローカル線はそれ自体が不思議な存在でしたが、それを取り巻く風景も印象深いものでした。
(今風に例えれば、スタジオジブリの世界です。)
この駅の構造は鉄道がなくなるまで大きな謎でした。
廃線の秋、YHで借りた自転車で小高い丘の上の同駅を訪れ、唖然としました。
ポッカリ空が顔を覗かせ、瓦の降ってくる危険な本屋(駅舎)を避け、人々は石を積み上げた給水塔と建物の隙間から出入りしていたのです。
付近には家が2軒くらいありましたでしょうか、それでもこの鉄道を必要とする人がいました。
僕の乗り降りした日置の駅は、町の中心から少し離れた、八幡神社の参道と交差する踏切から少し引っ込んだところにありました。
開業した頃は蒸気機関車が走り、火の粉による火災や汽笛の音に馬が暴れだすことなどを恐れたのでしょう。
この地にYHを開いたとうさん(YHのペアレント)は、国道(270号)に土地を提供するなら、南薩線を自分のところに引いておけばよかったと言っておりました。
YHの開設当初は、浸透せず薩摩湖のモーテルと間違われもしたようです。(爆)
多いときは、定員12名に対し、一晩に30人以上集まったのではないでしょうか。
じつはペアレントさんはウミガメ観察のために海の家を建て、ここだけはYHとして登録しなかったのでそちらに無料で宿泊させていたのです。
規則正しく走る南薩線は、YHの理念とも通じるところがありました。
一日の時間割は、列車の時刻で決められ、列車の時刻は、人々の生活によって決まっていました。
出迎えも見送りも、日置駅のホームに立ちみんなでやりました。
終点枕崎で指宿枕崎線に乗り継ぎ、半島を一周する車窓には、錦江湾に入港する日本高速フェリーのさんふらわあの姿もありました。
あれから四半世紀、モータリゼーションは人々の行動を拡げ、皆で揃って食卓を囲むことさえ、難しくなってしまいました。
駅への道しるべであった石敢当はどこに行ってしまったのでしょうか?
November.10.2005
八幡神社の参道と交差する踏切があった地点から吉利側に向けたショットです。本当に”何もない景色”になっちゃいました(笑)
なんてつバス日置寺下または郵便局前から海側の坂を上がったところの旧国道沿いに日吉町の中心部があります。
と言っても代表的な建物は公民館と町立病院、そしていくらかの商店があるに過ぎず、日が沈むと道と畑の区別もつかないほど灯りも人影もなくなります。
モルタル塗りの平屋建てわずか9棟の日置団地を通り抜け、あみだくじのような農道を月明かりを頼りに進むと、国道270号線です。
この国道沿いに吹上浜YHがあります。20数年前、知覧整備に使われた1軒あたりの費用の約3分の1にあたる自己資金(100万円ほどかかったと聞く)を投じ再現した武家屋敷の門が印象的なYHですが、国道がカーブした地点にあるため、見逃してしまう人が多いようです。
このYHの前の国道を横断し、5分ぐらいで吹上浜砂丘に到達します。
夏は海亀が産卵に来ることで知られています。
本年5月1日に東市来町、伊集院町、日吉町、吹上町が合併して日置市が誕生し、11月7日には金峰町、加世田市、笠沙町、大浦町、坊津町が合併して南さつま市が誕生しました。
November.07.2005
November.06.2005
鉄道廃止から10年後の7月、姿を変えた加世田駅の跡地に南薩鉄道記念館がオープンしました。
そしてキハ103号は食堂車に改装され、ぽっぽ亭という名称が与えられました。
しかし、それも長く続きませんでした。
訪れたとき、ぽっぽ亭は南さつま市々長候補の選挙事務所として使われ、
ぜんざいはありませんでした。(汗)
最新情報はこちらから確認できます。
http://6919.teacup.com/nantetsu/bbs