August.19.2016

第92回地球一周 1/104

台風7号が去り、予報を上回る日射しと穏やかな波に恵まれ、大勢の方からお見送りを受け、第92回地球一周のピースボートは横浜を出航しました。

キャビンのリニューアルが進んでいることは知っていたが、今回与えられたキャビンもそのひとつにあたり、すこぶる居心地が良い。
とくに洗面所が素敵で、こんないい部屋をいただき、申し訳ない気持ちもする。

持ち込む荷物を極限まで抑えたおかげで、ボートドリルまでにパッキングを解き、整理することができた。
もし他の船を選んでいたら、初日から自分のペースで過ごすことなどできなかったであろう。

初顔合わせの企画のあと、スターライト ラウンジでは早くもダンスが始まる。
と言っても、社交ダンスではない。
ダンスパフォーマンスのことである。

最初は1人か2人で技を披露するが、次第に輪が拡がり、GETのTeacherも踊り出す。
時間が経つほどテンションが上がり、盛り上がる。
表現の豊かさはありふれたダンスよりずっと楽しく、グローバル スタンダードなこの光景は、日本の船では見たことがない。

この頃シニア層も、3日間のみ、樽酒を注文するともれなく貰えるシップリン升を目当てに波へいを訪ねた人たちがグループを形成、あちこちで交流する姿が見られた。

August.13.2016

地球一周の夢に向けて-20

毎日充実し過ぎて、ヤバすぎるかも知れない。
あ~、もう自分が誰なのか歳さえもわからない。

P-MACって知ってますか?
NGOピースボートが1998年から行っている、地雷廃絶キャンペーンで、100円で1平方メートルの地雷が撤去でき、人の命が救われますというあれ(街頭募金活動)です。
カンボジアには400万~600万個の地雷が今も残り、2日に1人の割合で小さな子供を含む一般市民がその犠牲になっているといわれております。(第92回クルーズ参加の一員として、一夜漬けで勉強しました。笑)

ピースボートが出航すると、それまでお預かりした善意も現地の関係機関に届けられることになります。

僕、伝説の第63回クルーズ(2008年9月7日~2009年1月13日)、ずっと不思議でならなかったんですよ。
当時チャーターしていたClipper Pacific(クリッパー パシフィック 22,945 GRT)がピレウスにて航行不能になり、打ち切ることだって可能であったろうに、何故代船の手配をしてまで地球一周を続けたのか。
また、、Leonardo Shipping(レオナルド シッピング)はなぜ、人々に愛されているMV Mona Lisa(モナリザ 28,891 GRT)を貸したのか?

それが今日、少し理解できるようになったんです。
わが国では一部にピースボートにネガティブなイメージを重ねる人もいますが、海外では見方が違うんですね。

というのもピースボートは海外からの参加を受け入れており、英語やスペイン語講座の教師として乗船される外国籍の方もたくさんいます。

NGOの活動をよく知っていれば、当時ドイツの旅行会社「Lord Nelson Seereisen」がチャーターしていて、ちょうど8月31日で契約の切れたモナリザがピースボートにチャーターされたのは、運命の出会いと言えますね。

そう考えると、かってソマリア沖でNATO軍が護衛してくれたとか、そこに日本の自衛隊がいれば、守るのは当然かなともおもえるわけです。

それにしても、ヨーロッパで余生を送っていたMonalisa、彼女は再び地球を回る晴れ舞台に、さぞ驚かれたことでしょうね。

さて、第92回クルーズはカンボジアには寄港しませんが、オーバーランドツアーを通じて現地関係機関にお届けするプロジェクトが組まれております。

P-MACの活動は、若い人が自発的に集まり街頭に立ち、最終的には感謝の意を込め、自分たちも募金をしてから集計しているの知ってました?

中には千円札を寄付してくださる方もいらっしゃいます。
それはそれでありがたいのですが、僕は100円の意味は、多くの日本人の善意を今なお地雷の被害に遭い困っている人たちに届け、同時に現地を勉強してくることにあるとおもっております。(僕は船で地球一周することが目的ですので、オーバーランドには参加しませんが)

因みに第92回クルーズ参加者の何名かが、出航準備もありボランティア期間を過ぎているにも関わらず、街頭に立ちました。

August.11.2016

地球一周の夢に向けて-番外編

人生初となる第92回地球一周104日間のパッキングは、日曜日一日でほぼ終えることができた。
計画通りスーツケース1個とバックパック1つにすべてを収めたが、全体としては僕のなかで過去最大量の荷物である。
全部で約120点をリストアップし、できる限り軽量でかさばらないアイテムを選んだつもりだが、なかにはレインポンチョにシェラカップ、レジャーシートや軍手、45Lのごみ袋など、通常のクルーズでは考えられないようなものも入っている。(笑)
正直、こんな楽しいパッキングはないだろう。

用意が整ってしまえばこっちのもので、来週出港だというのに昨晩もPeace Boat Centerのイベント(なのだろうか?)に参加させていただいた。
というのも先週、ふるさと納税で山形から送っていただいた10kgのお米のうちの半分が出港までに消化しきれないことを知り、寄付に訪れていたのだが、シェフはそれを活かしてハヤシライスをこしらえていた。

料理人のセンスの良さはほどよい水分量で歯ごたえを残し一升を炊き上げ、皆がおいしいお米と評してくれた。
山形の農家の方が丹精込めて育てられたものだけに多くの若い人に食べてもらう機会を得、ほんとうによかったとおもう。

August.03.2016

地球一周の夢に向けて-18

僕が小さいころ、心に描いたクルーズは、鉄の船で遠く海を渡り旅することであり、世界各地から、横浜に来航したOcean linerが原点である。

我が家では夏はつけ蕎麦ならぬつけ素麺の日が多かった。
母の素麺はあまりにもシンプルであり栄養価が低く、そのため僕は素麺を遠ざけるようになった。

人はいつかは老衰し生まれた時に戻るらしい。
つまり、成長と逆の過程をたどり、食欲が減退、眠くなる時間が長くなっていく。
老化し、分裂を止めた細胞の中では免疫物質が数多く作られるということまでわかっており、これによりすべての説明がつく。

少量の茹でた素麺を氷で冷やし、めんつゆをかけると母は残さずに食べた。
栄養の不足を補うための付け合わせには、やはり箸をつけなかった。

ある晩の横浜Peace Boat Center、ポスターを携えて熱い思いを伝え、ファンの獲得に努めたメンバーが戻って来るのをオリジナリティー溢れる料理を用意して待っている、ヤングシェフはそれ自体チャレンジであり、はましあい、持ち回りを決めている。
今日のメニューは豆乳スープを使った冷しゃぶ素麺と、なめこだれ素麺の二通りであった。
素麺なんて腹の足しにもならないとおもっていたが、これはバランスよく満足度が高い!

「スタッフで地球一周9回の人いるんですって」と言ったら、「スタッフには30回の人もいますよ」って、僕が北海道や関西、九州などをふつうに行き来していたのと同じ感覚なんだろうなぁ。
枠にとらわれず、テリトリーを広げられるのは、若いって証拠だよね。

若い人は国や人種に捕らわれることなく、自然な形で同世代の人と語り合い、親交を深めることができます。
移動がままならなかった時代を過ごされた年輩の人には理解不能なことであろうし、ピースボートが自衛隊に守られたなんて記事が載ると批判もありますが、ピースボートはNGOであり、世界にはOcean Dreamが届けてくれる支援物資や活動、交流を待ち望んでいる人もいるということをもっと知ってもらいたく、敢えて書いております。

出航まで残り僅か、ボランティア活動以外にもいろいろな発見があり、癒されることも多い。

July.26.2016

地球一周の夢に向けて-17

僕があの日しゃべりたかったこと。
いつかは船の仕事をしたいとおもっている。

目標は、ステータスの呪縛を解くことのできない日本の旧い型の客船ではない。
僕が今まで旅したことのある国で体験した、何世代もの笑顔に包まれ、若さや活気に満ちた真のクルーズ文化の構築であり、日本にはピースボートという素晴らしい仕組みがある。

70歳、80歳になってもクルーズに参加することは可能であるが、自分が何かをやろうとしたら、今しかない。
この船を出したい、その想いは10代、20代にも負けないつもりである。

残念ながら、北米企業による世界のクルーズ市場統合やメガシップが大量建造される以前の、’90年代初頭までの世界のクルーズが如何に楽しかったかを自らの体験で語れる人は少ないとおもう。
何故なら、その頃のクルーズ経験者は高齢者が多かったため、既に伝える力を失っているか、大半は旅行会社が主催するグループツアーへリピートしていたからである。

黎明期においてOcean Dreamと比較してアコモデーションやアメニティで勝っていたと言える船はそれほど多くない。むしろ北米のクルーズ会社は食事に関しては量はあるけど不味いというのが定説であり、欧州は中古船の市場であった。
それはわが国のようにクルーズをステータスシンボルとしているのでなく、モノクラスのレジャーとして安価であり自由を尊重し若い人たちの間に広がっていったからで、小さなクルーズ船を支えたのは若いクルー達であり(その頃の僕は、どの船でもスポーツインストラクターと仲良くなっていた)、市場を大きくしたのは、絶えず新しい価値を創造し可能性に挑戦し、人びとをわくわくさせたからではないだろうか。

生まれた時からすべてが決まり手の付けられぬ世界なんて面白くないし、次の世代がそれを壊し、変えるのは自然な流れであろう。
クルーズの世界にも、船内新聞はiPadで配信、エンターティメントの席はWebで予約、ロボットがカクテルをつくるような船が出現しています。
このような船が主流になり得るかどうかは別問題です。

捕捉すると、日本にも1999年まで、「新さくら丸」という、ピースボートも複数回チャーターした素敵な客船がありました。
とくに1994年4月28日~7月20日実施の第16回航海は、日本船としては約20年ぶりの世界一周で、引退する1999年1月19日~4月16日実施の第25回航海は、日本船初の喜望峰~マゼラン海峡を通る世界一周でした。
殆どのキャビンはアウトサイドでも窓がなく、けど広いオープンデッキを備えていましたから、デッキランチや洋上運動会が盛んに行われました。
僕も一度だけ小豆島へ乗船しており、皆様えっ?と思われるかも知れませんが、この船は単発エンジンでリズミカルな響きが心地よかったのです。

今朝、Ocean Dreamが第91回地球一周の旅を終え、横浜港大さん橋に戻ってきました。
出港のときの笑顔も素晴らしかったけど、帰ってきたときの笑顔はもっと素敵でした。

横浜では燃料補給や食料の積み込みがあり、神戸に向け出港しました。

※写真∶ 引き船は東京汽船の春日丸187tです。

July.25.2016

地球一周の夢に向けて-16

ついにParty Week突入です。
全国のPCに通っていると、それぞれの地域でPBスタッフ、共に活動したボランティアの方々がお見送りパーティー、通称「いってらっぱ」を、出航まで1ヶ月を切った日に開いてくれます。
僕の活動ベースは横浜ですが、東京へも時折顔を出しており、どちらも出席しました。

これには僕なりの理由があり、親の病気と向き合いながら現在地球一周を目指しており、自分を励ますための参加でしたがちょっとした手違いがあり、卒業証書を手にすることが出来ませんでした。

一夜明け、主治医から洗浄血小板(現在、日本赤十字社から取り寄せないと一般病院には流通していない血小板です。)の使用に関する説明と心肺蘇生処置の意向を示す確認書の記入・署名を求められました。
自分なりに覚悟はしたつもりでしたが、病状は考えたより悪化しており、親戚も見守る中で決断を下すのは本当に辛いです。

すべてが手作りのピースボート、ボランティアに積極的に参加する人とそれを遠目で見る人で温度差があるのは仕方ないですが、それぞれに楽しい旅であって欲しいと願っております。

July.06.2016

地球一周の夢に向けて-15

僕が学生の頃は世界遺産に登録された国、地域はまだなく、また、日本が世界遺産条約を批准、締結したのはユネスコにおいて世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約が成立してから20年が経った1992年であったこともあり、世界遺産に関する知識は乏しく、関心も低かった。
ミケーネ文明の発掘されたクノッソスなど、現在世界遺産に登録されている幾らかの地域には既に足を運んでおり、この遺跡のその後もそうであるが、世界遺産を観光資源としたり政治利用する一部の人たちの行為が、心の何処かで誤解を招いたことも影響している。

我が国の学校教育の多くは歴史を点で捉えていると言われ、断片的な事柄に対する年号の暗記などに重点が置かれた授業は歴史に対する興味を失わせるのに十分であるという。
ツアーで世界遺産を訪れた場合に、何故世界遺産なのかをきちんと説明できない添乗員やガイドが少なくないというのも、こうしたことを重ね合わせればなんとなく理解できる。
冒頭の挨拶を裏付けるように、30年にわたって世界遺産の保護や広報活動に携わってきた吉岡 敦さんの講座に関心を寄せ集まったのはほぼシニア世代であり、ちょっと驚いた。
まぁ、実際に寄港先でオプショナルに参加して世界遺産を訪ねるとなると、それ相応の資金もいるから、無理はないことなのだが、この講座は無料で開催され、僕は何にでも足を運ぶたちなのだ。

サンマリノっていう国、行ってみたいなぁ。
世界遺産は地球と人類の歴史であり、未来へつなぐ大切な財産である。
つまり、ひとつひとつもそうであるが、地球規模における壮大なロマンがそこにあることを、吉岡さんは熱く語った。
船で地球一周するということは、歴史の縦軸を横軸に繋ぐこと、これは昨年の日韓クルーズの水先案内人の一人であったルポライターの鎌田 慧氏が言われた、「歴史を縫う」という表現と重複するが、歴史の証人になるというおもいが込められている。

June.19.2016

地球一周の夢に向けて-14

大航海時代がもたらしたもの、それは世界がひとつの地図に描かれるようになったことでありました!

1海里(nautical mile)が1.852kmであることは知られておりますが、では何故1.852kmなのでしょうか?

地球を一周すると約4万km、いや、地球の子午線全周長を4千万分の1にした長さがメートルであり、一周は360度だから緯度の1度を60分とする(60進法)と、40,000÷(360×60)=1.852kmであり、つまり緯度の1分≒1海里なわけです。
1ノットは1時間に1海里(=緯度1分)進む速さの単位です。

航海において計画したとおりに進んでいるかどうかを知るには、先ず自分の居る場所を正確に知らなければなりません。
そこで緯度と経度の計測が必要になります。

緯度は北極星や太陽の高度を測定して求められましたが、経度は自然界に基準となるものがありませんので、人為的に定めたものが子午線(しごせん)と呼ばれるものです。
地球はほぼ24時間で1回転しており、経度は360度÷24=15度ごとに1時間の時差を生じるので、本初子午線(グリニッジ)を基準に180度の地点(つまりハワイ付近)に、日付変更線を設けたわけです。

太陽がその日最も高くなる時分秒の正確な世界時を測ることができればその地の経度を知ることができ、航海に要する正確な時計、クロノメーターはこのような過程で生まれました。

ついでに、Bridgeとは文字通り船上に掛ける橋、Nav’bridgeのことで、外輪蒸気船の時代には両舷外輪カバー上に見張台(航海当直指揮所)があり、右舷から左舷(左舷から右舷)に移動の際はいちいち甲板に降りなければならず、「面倒だから左右見張台を繋ぐ長い橋を掛けてしまえ」となったのが原型です。(笑)
暫くの間は航海船橋(Bridge)と船尾操舵所(Hood)とは別々に存在していましたが、一般商船の主流が汽船(スクリュープロペラ船)になり航海船橋兼操舵室になるとNav’Bridge & Wheel-House、いわゆる操舵室という名称が使われます。
近年は機関制御室も同居し、Bridge-Control-CenterをBridge=操舵室という場合もあります。

Logは木片、Knotはロープの結び目のことで、昔は予めわかっている距離に丸太を流したり、木片を付けた一定間隔で結び目のあるロープを水中に落とし、砂時計が落ちる間に何個出るかを記録するなどして速力を測っていました。それがLog Bookであり航海日誌の語源です。

さて、今回のクルーズではスエズ運河の通行が予定されており、POSH(Port-side-Out-word, Starboard-side-Home-wordの略)という伝えがありますが、これはスエズ運河にて客船を運航していた船社が上等客に対して実施したあるサービスが単語になったものです。
因みに今回僕はキャビン選び(位置リクエスト)をしておりません。船が好きであればどこに乗っても楽しいであろうし、絶対この場所でなきゃ駄目とかおもってしまうと、ストレスを溜め込んでしまうからです。

今回のレポートは、時差と航海速力に関する素朴な疑問がきっかけで、知り合いの商船船長よりいただいた資料をもとに、まとめました。
尚、英語のCaptainとは、各国とも海軍大佐または陸軍・空軍・海兵隊大尉のことを指すそうで、商船士官に海軍予備制度のない本邦商船船長はMasterが正しい呼称ですが、一般的敬称としてCaptainが使われているようです。

※写真∶ 荷役作業を行ってくださっているのは、その道のスペシャリスト、「相模船舶作業(æ ª)」さんです。ピースボート スタッフではありませんよ~

May.28.2016

地球一周の夢に向けて-13

昨日発売の雑誌「Cruise」7月号に、「ショートクルーズで体感 ピースボートで知る旅、出会う旅」という記事が掲載されている。
詳しい方の話によると、Peace Boatの記事が掲載されるのはじつに12年ぶりのことであるらしい。
どのようなレポートか少々期待をしたが、およそ想定の範囲内というか、Peace Boatの趣旨などには触れていない。
少々意地悪な見方をすれば、レポーターは「乗船する前は政治的なものが多いとおもった」と語っているが、何故先入観を持ったのかについては語られていない。
もっともこれは筆者だけに限らず、複数の方のお話としてPeace Boatはこの間、広告や出稿を望んでいなかったと言われており、12年間の空白は様々な誤解や噂を呼んだのである。

僕も何度か見学会に参加して、昨年ショートクルーズに乗船したが、個人的には期待を超える充実したクルーズであった。
船内には「波へい」という居酒屋があり、乗船前は正直、違和感があった。
ところがこの「波へい」は、海外のどの船の有料レストランよりも低価格で、パブのように人々が集まり活気に満ちた、開放的な空間である。

(参考)※メニューはその時々で変わります。
 

  • Food
 

えだまめ

290円

冷奴

290円

Chanja(韓国料理)

290円

縞ほっけ

590円

牡蠣フライ

680円

牡蠣鍋

880円

帆立バター焼(一枚)

380円

鮭茶漬け

320円

  • Drink
 

Vodka Granberry

490円

Canpari Soda

460円

Baileys Milk

440円

かち割り Rum

360円

熱燗(小)

400円

熱燗(大)

780円

Coka-Cola Light

180円

+Seavice charge(15%)  

May.20.2016

地球一周の夢に向けて-12

四角大輔さん、目が輝いており、かっこいいというか、若々しいんですね。
彼は信じられないことに現在46歳で、約15年間続けたプロデューサーという仕事を辞め、学生時代からの夢であったニュージーランド移住を成功させ、自由人となり自らのライフスタイルを仕事に活かされているそうです。

自由に生きるということの捉え方は人さまざまですが、彼は人生を怠けたわけではなく、むしろその逆で自分に厳しく、しっかりと計画を立て、自分を見つめることができ、粘り強さが実行力に結び付いているわけです。

彼のような生き方は、現実的にはすべての人が成功するわけではないとおもいますが、僕は在職期間、しっかり生活の無駄を省き、取得した休暇は計画的に旅することに投資して来ましたから、伝えようとすることは何となくわかる気がします。

勤めていた会社には加算休暇という制度があり、法定休暇と合わせ年間で38日くらい、特殊な勤務形態で非番、休日など時間が有効に使え、比較的最近まではモバイル機器を所有せず、通信環境の整っていないところに入り込んでしまえばかなり自由な旅でしたから、自分をリセット出来たわけです。

環境に恵まれチャンスを活かし、口には出さずとも感謝はしていましたが、余計なものを捨てるという選択も必要でした。(笑)
本日のテーマである、「こんな恵まれた国に生まれたぼくらが、旅に出ない理由はない。」と通じるところがあるんです。

僕がこのように選択をしたのは、やはりまわりの予定に自分を合わせている人が圧倒的に多く、周囲には頑張りすぎて病気になったり、命まで落とす人がたくさんいたからです。

僕の20代はPeace Boatはまだ日が浅く、地球一周までいってなかったし、2ヶ月に1回くらいのペースで長いときは2週間くらい、常識という枠から離脱し、自分流に旅をプロデュースしていました。
例えば、北海道への旅では1年間を6分割し、季節の移り変わりを自然の中に身を置き、今は廃止となってしまいましたが網走から湧別まで湧網線というのがあり、雪が続いて困っているときには、旅先で除雪作業のアルバイトも体験しました。

クルーズは23年ほど前から、こちらも計画的に同じ船のリピーターとして落ち着くのでなく、あらゆるジャンルのクルーズを体験することを目的に始め、彼の「旅に目的を」という言葉に共感できたから、本(自由であり続けるために)を手にしました。
あとで苦笑いしたのですが、彼に従えば、僕はこの本を衝動買いしてはいけなかったんですね。

「20代で捨てるべき50のこと」というサブタイトルは、おおまかには何を捨て、何を残すべきかを20代で選択せよということです。
僕は、自分の価値を時間と金で例えることは好きではないのですが、今、こうしている間も自分は命を削っているんだという認識を彼は常に持っており、この本にはたくさんの素晴らしいと感じたメッセージが詰まっております。

旅もそうですが、タイトルとかこだわらなくていいんです。20代の人は、いろいろ溢れる情報を詰め込み過ぎ物欲にかられ息苦しさを感じる時機であり、それゆえ新鮮な感想が多いようです。

実際にお会いして人当たりがいい方です。会員制コミュニティとかもやられているようで、自分の価値を自己評価し、しっかり稼いでいる面もありますが、今日は楽しくTabippo.net代表、清水さんとのtalkを聞かせていただき、signもいただきました。今度のクルーズにご一緒できたら、めちゃ嬉しいです。

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