June.14.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day56

ホテルをcheckout後、昨日のタクシードライバーと、意気投合して島の南側にあるpelican barを目指した。

帰船リミットまで5時間足らずで、ちょっとした冒険であったが、彼は山道を横断するルートをよく熟知しており、日没間際の、pelican barへアクセスする最終ボートにセーフした。

pelican barは海の中にポツンと立っているユニークなレストランバーで、僕はrumのcocktail、彼はlocal beerを1本ねだり、二人で乾杯した。

えっ?と驚くかも知れないが、この国では乗り物を運転することがわかっていても、飲む飲まないは自己責任で、酒を販売するらしい。

彼の愛車(タクシー)が30年前のモデルだったことは驚きであったが、彼は集中力を絶やすことなく来た道を引き返し、不安を抱くことはなかった。

June.13.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day55

Booking.comから、ジャマイカの、All Inclusiveを謳った高級リゾートホテルを予約した。
62.52㎡の広さを有する、Ocean frontに位置するsea view bathroomを備えたjr.suite roomで、487.10USD(1室料金)は、世界top-levelの体験としてはreasonableである。
Free Portの外でタクシーを交渉し、いいドライバーに巡り会えた。

着後Early Check inして水着に着替え、Infinity poolや、安全に配慮されたprivate beachへ行った。
海は期待していたとおり透明度が高く、魚も一緒に泳いでおり感動した。
Dinnerはbuffetではなく、à la carteで提供された。
Red stripeも、dirty bananaやplanters punchなどのrum cocktailも、料金に含まれている。

June.11.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day53

ドキュメンタリーは、素材は事実であっても、編集されることにより、フィクションになるという。
森 達也さんが、オウム真理教の事件後に、教団の広報に取材を申し込み、密着取材を試みたが、TV局の圧力を受け、映画として完成させたというドキュメンタリー作品「A」を見た。
当時オウム真理教はカンボジアのポルポトと似た、身勝手な理由で大量虐殺を計画し、地下鉄サリン事件を起こした。
実行犯の中には、それが何であるか知らず、与えられた任務として犯行に加わった者もいた。
事件直後の映像には、オウムは全て悪であり、教団の一人と取引(取材を申し込み)するなどということは暗に禁じられ、取材の手順を欠いた隠し撮りや突撃取材が公然と行われ、世論を取り込んだ警察がオウムの信者に対し、公務執行妨害をでっち上げる生々しく、衝撃的なシーンも含まれる。
当時教団の広報を担当していたAは、どこにでも居そうな心優しい青年であり、凶悪なサリン事件など起こすようには見えない。
逆に言えば、加害者としての意識が薄く、彼もまた歯車のひとつとして動いているだけである。

海外の映画祭において、※)「ドイツも同じよ」という発言があったことが、この事件の本質を突いている。
※)それは、歴史上一度起こったことが繰り返されたことを意味し、別の見方をすれば、日本とドイツの戦後認識の違いであろう。

June.08.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ 49-50

単独、マンハッタンの南端からフェリーで8分程で渡れる、ガバナーズアイランドへ行った。
都会の喧騒を逃れ、とても素敵な島である。

夜は、Winter Garden Theatreでこの春から上演されているMusical、Beetlejuice(ビートルジュース)を観賞した。
主人公のBeetlejuiceは、死者の世界で生きるファンキーで厄介者のゴーストである。彼とその仲間たちが着ている、薄汚れたり綻びた縞模様の衣装は、アウシュビッツで命を落としたユダヤ人が収容所内で着せられていた囚人服にとても似ている。
ゆえに僕はBeetlejuiceが、新人のゴーストであるAdam(アダム)とBarbara(バーバラ)の家に引っ越して来た、富豪のCharles(チャールズ)一家を脅かして懲らしめようとするストーリーや作品そのものに、それまで平和に暮らしていたユダヤ人の生活や、ホロコーストにより殺害されてしまった人たちの魂のようなものを感じてしまうのである。

その後は船に戻り友と合流して、Times Squareなど眠らない街を堪能した。

自由の女神が立つリバティアイランド、ブルックリンブリッジ、エンパイアステートビルディングなど、観光の定番も若者グループでまわると楽しく、たくさんの写真をシェアした。

June.06.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day48

ニューファンドランド島沖をこの時期漂う氷山のためか、今朝は寒く、海水温は8度しかないと聞いた。

本船は明日未明にはニューヨーク港口に到達する予定で、現在12ノットに落として航行しているが、これより速度を落とすと、揺れを制御することが困難になるため、早朝、パイロットの乗船を待つという。

レイキャビックより明日ニューヨーク入港予定のサン プリンセスは、ニューファンドランドの南にある氷山を避け、現在本船の後方にて航行しており、到着が10時30分になる見込みである。

米国トランプ政権は6月4日、アメリカからキューバへのクルーズ旅行を禁止する規制処置を取った。本船はまたもや寄港地の変更を余儀なくされ、ニューヨークからジャマイカへ向かうことが決まった。

June.05.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day47

日本に暮らす私たちがアウシュビッツで学び、船内にて報告、発表を行うにあたり、当時の日本も加害国であったことを真摯に受け止め、検証することは避けて通れない。

日本の歴史の授業では、近現在史を学ぶ時間数はとても少なく、日本が加害国であることを理解している人も多くないのが実状で、日本がかって支配した国々の遺構を訪ねることなど殆どないが、韓国にも、ソウデムン刑務所という、朝鮮の人たちを投獄しようと作られた施設があり、その仕組みも似ているという。
戦後占領軍が行なった、何でも日本が悪いとの刷り込みへの反動から、日本は素晴らしい国だとの教育に熱が注がれるようになり、戦後立て直しを図ったとの自負もある、船客の約7割を占めるシニア層からは、この問題に触れることは反発もあろう。
あらゆる国籍の方々が集まった船内では、言葉や表現への配慮も必要である。
故に私たちは船に戻ってから、日々朝から深夜までこの問題を含め討議を繰り返し、時間を費やしてきた。
第二次世界大戦においてドイツ帝国と同盟を結んでいた大日本帝国は、アジア、太平洋地域において何をしたのか、日本が辿った道のりとも向き合わなければ、アウシュビッツはただの観光旅行であるという共通認識のもと、敢えて約3割の若者に向け、メッセージを発することにした。

このことに対し、ピースボートが洗脳したと風潮する人が出れば、それはヘイトスピーチであり、根拠なく同調することは、我々が学んだホロコーストと何ら変わらないのではないか。

May.30.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day41

本船に合流するため、ポンタデルガーダへ向かう機中で、反対席の女性に手招きされ窓から覗くと、サンミゲル島の美しいカルデラ湖や牧草地、海岸線などが目に飛び込んだ。
今日は復活祭(4/21)の後の第五日曜日から開催されている、サントクリスト・ドス・ミラグレスのお祭りの最終日らしい。
この期間のみ、修道女が内部の門を開き、教会の下に隠されている、16世紀に島にもたらされたキリストの像を見ることができるという事で、周囲は深夜まで賑わった。

May.29.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day40

モトリルにて本船、Ocean Dreamに戻ったのも束の間、ジブラルタル海峡を越えたアフリカ大陸のタンジェから、リフ山脈やアトラス山脈の雄大な景色を眺めつつオーバーランドして、モロッコ北東部の街、フェズと、西部の都市、マラケシュを訪ねた。

May.25.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day36

民主主義において、自国に都合のよい政治家を選んでしまったところから、民主主義の崩壊が始まった。

今日は、第一収容所より、約3Km西の第二収容所ビルケナウを訪ねた。
ここには当時、300を超える棟があり、9万人を超える人びとが収容され、4棟のガス室が存在したが、戦争に負けるとわかると、戦争責任を問われると考えたドイツ軍は、ガス室などを破壊して証拠隠滅を図った。
設計図には、焼却炉と記載し、伝染病を防ぐための施設であると言い逃れを考えていた。
このような行為は特別なことではなく、報告書の捏造は、その当時における社会の価値観の違いであり、忖度は日常的であった。
戦後、軍のトップは虐殺を知らなかったと主張し、現場は命令に従っただけであると、互いに罪を否定したが、ここに収容された者はガス室で死ぬか、病気で死ぬか、餓死するか、死は変わらなかった。

世界遺産ではあるが、観光地ではない。
アウシュビッツでの出来事を継承するために建てられた、Center for Dialogue and Prayerに滞在しての3泊4日の特別プログラムにおいて、最終日は現地高校生との交流会を通して、実際に文化の違いや未来について述べるなど対話を行った。
アウシュビッツは人間の本質がとても弱く、理性とのバランスが失われた場合、如何に残酷になれるものであるかということを語りかけ、我々はどうバランスを取り、対話していくか提起されているというのが、現地での感想である。

May.24.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day35

アウシュビッツに来て2日目、主に強制労働に使われた第一収容所を訪ねた。
ナチスは、自分とその家族を守ろうとする人間の本質を巧みに利用した。
例えば、長編成の貨車がユダヤ人を満載しているのが目撃されても、大多数の人は傍観していた。
人の命を助ける医者は、ガス室へ送る人びとの選別に専念した。
収容所内では、身分が細かくカテゴリー化され、人が人を殺した。
一方、収容所という絶望的な環境に於いても人びとに手を差し伸べた、強制収容所のバイオリニストと呼ばれたヘレナ・ドゥニチ−ニヴィンスカや、無作為に決められた受刑者の身代わりとなり、餓死刑を受けた、マキシミリアノ・コルベ神父のような人物も、僅かながら存在した。彼は1930年に、長崎の大浦に宣教に訪れている。
このように対話のなかったこと、周りに優しく出来なかったことが、今、私たちに後悔として残っている。

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