April.14.2018

ピースボートのGWクルーズ

日本の欧米化の流れはファッションや食べ物に限らず、近年は旅行業界にもその影響が表れている。

以前も書いたことがあるが、一部の旅行者は気になる旅行商品を手あたり次第に予約、複数の旅行会社で予約していることも珍しくなく、その後一つに絞り、残りはキャンセル料の発生する時期を睨んで直前で解約するのだ。

もう10年以上前になるが、北海道の宿で外国人による無断キャンセルが多く、オーナーが他の宿と連携して調べたところ、同じ名前、同じ日の予約が複数の宿にあり、旅行者はその日、自分の居る地点から一番近い宿に泊まっていたという実態が明らかになった。海外でオーバーブッキングが起こるのは、こういう事情があるからだ。

これが100日にも及ぶクルーズとなると、それなりの準備期間が必要であり、問題はより深刻であろう。(日本の旅行業法は消費者に手厚い。)

ピースボートは、またおもしろいアイデアを出した。
現在、既に満席となっている第99回以降の地球一周クルーズを予約、全額払い込んでいる顧客を対象に、GWに行うショートクルーズの代金を、地球一周フルクルーズ参加時に、全額返金するというのだ。

GWのショートクルーズに参加後、フルクルーズの予約を取り消された場合は、フルクルーズの代金は返金され、ショートクルーズの代金は戻らないわけだが、GWのクルーズでは早期割引やリピーター割引を適用していない(但し、クルーズ料金の設定自体が低く、早期支払いの顧客に対し、船内の有料となるサービスで使える一定額のクーポンは付与)ので、そのようなケースも企画、主催者側は、考慮しているのだろうと僕は見ている。

需要と供給のバランスの中で、クルーズ業界においても変動相場制を取り、値引きすることは今では珍しくない。しかし、もし100日間のクルーズの1割相当を何らかの形で還元しようという場合、10日分を値引くより、10日プラスするほうが運航会社としては利益を生み出せるので、最初におもしろいアイデアであると書かせていただいたのであります。

大半の若者は直前まで資金を貯めて乗船されているので、このショートは少し大人のクルーズになりそうであるが、全行程に占める航海日の比率が3分の2と高く、また、使用客船のOcean Dreamは昨年末に ※舟山ドックに入渠(にゅうきょ)し、新たに展望風呂の世界湯(有料、クーポン利用可)を新設したので、船好きとしては十分楽しめそうな春のクルーズである。

※ 中国の杭州湾にある大型の修繕設備で、同地区には日本の造船・海運業も投資しており、船舶の大型化と、不足するドライドックの確保などの理由から、注目されているエリアです。

March.25.2018

ウユニ塩湖プロジェクトのまとめ

  • 予算
  • 実質的には、航空券を自分で手配したので、お土産を少し加えても、総額40万円を少し超えたくらいです。
    旅費の約半分を占める、航空券をいつどのように取るかがポイントと言えそうです。

  • 乗り継ぎ
  • ボリビアへの、日本からの直行便はなく、一般的には米国内のどこかを経由して行くルートを選択することになります。
    Miami最初の米国内の空港で、米国の入国審査を受けることになり、日本出発72時間前までのESTAの取得と、乗り継ぎには2時間程度以上が推奨されます。
    米国内の主な空港においては、Visa Waiver Programが適用され、且つ条件を満たした海外旅行者(※ 2008年以降、アメリカに1度でも渡航したことがある人)であれば、U.S. Customs and Border Protection(CBP)の一次審査エリアでの手続きに自動パスポートコントロール(APC)が利用でき、入国審査での待ち時間が短縮されるとおもわれます。
    その手順は、

    • 税関申告書用紙に記入する代わりに、先ずセルフサービスのキオスクでパスポートをスキャンします。
    • キオスクで写真を撮影し、バイオ(親指を除く指4本の指紋を採取)及びフライト情報を確認するための一連の質問(YES、NOの質問)に答えます。
    • 渡航者が一連の質問に答え、税関申告書(電子税関申告書)を提出した後、レシートが発行されます。
    • 渡航者は、その後、パスポートとレシートをCBP審査官に提示し、入国審査を受けた後、Baggage claim(手荷物受取)を通過し、transfer(乗換)の表示に進みます。

    American Express Centurion Lounge再び手荷物検査を受け、Departure(出発)の案内を確認してBoarding(搭乗)の開始までに搭乗口に到着します。
    ボードの表示は発順ではなく、行先・時刻併用で、左側よりアルファベット(ABC…)順で記されています。
    ※ 更新などパスポートを取り直した場合も新しいパスポートで1回目のアメリカ入国は、APCはご利用いただけません。

  • 両替
  • 現地通貨、Bs(ボリビア―ノ=1Bs約15円)へは、サンタクルスの空港とホテルで米ドルから100ドルづつ両替しました。
    両者のレートの差は5Bs(日本円にて約80円)程度であり、町で両替すると、さらに5Bs程度多く両替できるようですが、偽札の多く出回っているボリビアでは、それらが混入するリスクもあるため、敢えて前者を選びました。
    塩のホテルでは清算は米ドルのみ、日本円は使えません。
    余ったBsはマイアミの空港で再両替できましたが、レートは著しく悪くなります。

  • トイレ
  • 空港やホテル、レストランを除き、入口に係員がおり、1Bs~5Bsのチップを渡し、ペーパーを受け取ってから入ります。有名な観光地になるほど高いのはどこも同じです。
    ペーパーはごく少量しか渡されないので、グループで利用する場合は、男性は仲間内で必要とする人にまわしました。
    水事情が日本と異るので、使用したペーパーはトイレに流さず、脇の屑入れに捨てます。

  • 食事
  • 一般に外国人が利用するレストラン(英語メニューあり)では、1食あたり35Bs~80Bs程度が必要です。
    カフェ程度ならチップは必要ありません。
    現地の人が利用するレストランでは、前菜のスープとメインがセットになっていて、昼(almuerzo)は10Bs、夜(cena)は15Bs程度(スープのみでも値段は同じ)で食べられますが、メイン料理は選ぶことになるので、高いコミュニケーション能力がないと、利用は難しいでしょう。
    Sopsスペイン語で料理の説明を受けても僕にはわかりませんので、ローカルレストランへは、現地で暮らすTさんに連れて行っていただきました。
    市場内のフードコートで食べるスープや、バスターミナルで路上販売していた手作りのサンドイッチなどは、5Bsで購入できました。

  • 治安
  • ラパスを除き、日中はそれほど悪くないようです。
    しかし、サンタクルスの遺跡へ向かう途中、一度だけバスが検問に遭いました。
    彼らはたぶんニセ警官です。
    パスポートの携帯が義務付けられているので、注意しよう。

  • 水事情
  • はっきり言ってよくないです。
    ミネラルウォーターは、1本5Bs程度で買えます。
    ウユニでは、ホステル内でシャワーのお湯が使える時間が限られ、深夜は給水が停止される他、到着時には断水も起こりました。

March.23.2018

旅の行程

友人が乗船する、第97回ピースボートの出航を見送った2日後、僕は成田へ向かっていた。
アメリカ中部のダラスと、東部マイアミは、共に、翌3月11日から、サマータイムに入ろうとしていた。北半球とは気候が逆のボリビアには、サマータイムがないから、少々ややこしいい。
前回で述べたが、Sさんは写真家であるから、ウユニ歴3回というNさん(女性)がプロデュースに加わった。さらにもう一人、サンタクルス在住のTさん(女性)がラパスを離れるまでの9日間を共に行動してガイドしてくれた。後にNさんは、沖縄の友人の、また友人であることがわかった。

まず、ボリビアの中では標高の低いサンタクルス(海抜 400 m 程度)に2泊し、メンバーの交流と高山病の薬など必要なものを揃え、Parque Lomas de Arena(ロマス・デ・アレナ)の砂丘や1998年に考古学的な遺跡として世界遺産に登録されたEl Fuerte de Samaipata(サマイパタの砦)を訪問、次に、白く美しい建物が多く、1991年に世界文化遺産に登録された歴史都市スクレ(標高 2,810 m)に1泊、ここからは急激な高度上昇を避けるため、チャーターのバスに乗り、人が住む都市としては世界最高地点であるポトシ(標高約 4,000 m)を経由してウユニの町に向かった。

翌朝、1日分の荷物をdaypackに詰め、現地ツアー会社主催のワンデーツアーに参加、廃車体が観光名所となった列車の墓場やコルチャニ村に立ち寄り、塩湖の中でピクニック、ユニークな塩のホテル「Cristal Samana」にチェックイン(1泊)して、深夜 23:00~27:00 の星空ツアーに参加した。

ウユニ3日目は塩のホテルより出発して昨日とは異なる内容でのワンデーツアー、トリックアートなどに挑戦し、夕刻ウユニの町のホステル「ORO BLANCO」に戻り、仮眠して新月の星空&朝日鑑賞ツアー(2:00~8:00)に出発した。

4日目は希望者のみが追加料金を払いワンデーツアーに出発し、僕は街に残り、今回同行してくれた、ボリビア在住のTさんと、地元民用のレストランへ行った。
牛肉或いは鶏肉とじゃがいもなどの野菜、米やキヌアなどの穀物、パスタ(型崩れせぬよう焦がしている)を加えたあっさりしたスープは個性的で美味しいうえ、肉料理は飽きてきたので、昼も夜もメインを頼まずにオーダーした。
昼のセットは10Bs、夜は定番料理のどれを頼んでも15Bsであった。

天候は昼夜安定しているわけではなく、無風、鏡張りの状態から雷雨や強風、或いは突如雹が降り出すこともあるが、写真センスの優れた人は、ちょっとした変化も見逃さず、インスタ映えする作品に仕上げてしまうようである。

翌日、グループメンバーより一足早い8時25分のフライトでウユニからラパスへターン、午前中は概ね天候がよく、ウユニ塩湖を上空から見下ろせる左の窓側席を確保した。

March.22.2018

現地合流まで

そもそも、僕がボリビアへ行こうと決めたのは、約半年前のこと、友人がFacebookでシェアした、Global留学の、バックパックで現地交流、航空券込み、ウユニへ予算は39万円台という企画が、魅力的だったからである。

即刻参加表明したが、当初はグループでの航空券手配が思うようにいかなかったようで、意思決定直後に航空券は個人手配、現地集合に変わり、航空券を除いた現地の費用として199,000円を納めた。これには、帰路中継点のダラスを除く8泊の宿泊(朝食付)と、フライトを除く移動費用、現地ツアー代金、基本日程での海外旅行保険まで含まれている。

推奨される航空券を個人でトラベルコやエクスペディアなどの手を借り手配したが、何かおかしい、日程表と照らし合わせてみると、VVI(サンタクルス)ーSRE(スクレ)間が1日ズレており、現地LCCのamaszonas(アマゾナス)航空でのキャンセルが上手くいかず、31.07USDが二重払いになった。

ついでに記しておくと、amaszonas航空は、便の振替やフライト時刻の変更が多く、最初に搭乗するLPB(ラパス)ーVVI(サンタクルス)間は72時間前にwebチェックインできるため日本で確認、以後はwebチェックインの環境が整わないため、都度空港カウンターで、次に搭乗を予定するフライトの確認を行った。

トータルの航空券代は、ボリビアの国内線を含めて201,176円である。(含VVI-SREの二重払い)

現地連絡の手段としてイモトのwifiを契約することを勧められて、21,592円にてレンタルしたが、何と言い出しっぺのS氏が直前にキャンセルをしていた。

理由はwifiレンタル会社より、現地で繋がりが悪いという報告を受けていると連絡があったためだが、実際はイモトのwifiはそれなりに役に立った。
Paceña
S氏とは計画発起人であるが、職業は写真家であり、ボリビアを知ってもらうために尽力しており、人柄もよく、これらのことで責めようとはおもわない。

実際、南米でも最貧困国と言われているボリビアは、想像以上に綺麗にしている町が多く、貧困=汚いという思い込みを反省した。

僕の購入したLPB(ラパス)行きのAmericanair(アメリカン航空)の便は、その後amaszonas航空に乗り換えなくても合流点のVVI(サンタクルス)まで飛ぶことになったが、航空会社に申し入れても変更が効かなかった。

とまぁ、出発までいろいろ心配なこともあったが、この旅、やはり選んで正解だった。

ボリビアは美しい。

February.25.2018

ただいま、Boliviaの旅をデザイン中

体重の軽い僕は、もともと旅の荷物は少なめであるが、近年はクルーズ中心の旅を続けていたから、ものの重量にはあまりこだわらぬ部分もあった。
しかし、今度の旅は、バックパックで移動するものであり、PBでお世話になった四隅大輔さんの提唱する、1gでも軽いものを選択するということに徹した。

1月にパリとモンサンミッシェルに同期生6人で旅行した。
ちょうど、目的地の気候環境が似通っていたので、衣服のコーディネートを含めデータの収集を行うこととし、5人がキャリーケースであったのに対し、1人Cote&Cielのバックパックで参加した。

後日、ある程度の想定はしていたが、シティファッションのダウンジャケットはボリュームの割に保温性が低く、アウトドアブランドのインナーダウンを購入+ウィンドブレーカーに、パック内部も従来はホテルのランドリー袋などを衣類分けに使用していたが、全面見直し、小分け用のスタッフパックを導入することにした。

昨今のアウトドアグッズの充実ぶりは、10年前の比ではない。
メインのパックは、昨年、メルカリで落とした、ficoutureの55Lサイズに決めた。
旅の予定日数は12日間であり、少々控えめな容量であるが、僕の背負える最適な重量とか、機内持ち込みなどを考慮したうえである。
完全防水でシンプルなパックである反面、サブポケットなどは一切無い。

このパックを使いこなすには、小分け用のスタッフパックは必須のアイテムである。
軽くて薄い、柔軟性に富んだ上質のスタッフパックは、バックパック内部を隙間なく満たし、バランスの崩れを防ぐ役割も担う。

カメラ用のサブバッグも必要であった。
長いこと、一眼レフカメラはbillinghamのポーチに入れ持ち歩くのが常であったが、前述のようにバッグパックにはサブポケットの類が一切無いので、ボディバッグの機能を併せ持つものを探した結果、Loweproのショルダーバッグに辿り着いた。

December.15.2017

i canを知ってますか?

ノーベル平和賞は、過去の功績を讃えるために与えられるものではない。

未来への願いを込めて、贈られる期待であると、解釈するのだという。

November.1.2017 at Tokyo

ほぼ毎水曜日に様々なジャンルのスピーカーを呼び開催されるピースボート勉強会(地球大学の一環で乗船の有無に関わらず受講可能)、今回のタイトルは、ピースボートが2007年から活動に携わるICAN(International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)がノーベル平和賞を受賞したことに伴う緊急企画、「今こそ聞こう 被爆者の声」である。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とは、Wikipediaには、各国政府に対して、核兵器禁止条約の交渉開始・支持のロビー活動を行う目的で設立された国際的な運動の連合体であると記されている。

ピースボートが果たしてきた役割のひとつは、核兵器の非人道性の土台である、広島・長崎の被爆者たちの声を世界に伝えることであるが、メディアを含む大勢の人で埋め尽くされた広い会場に、被爆者の生の声を聞いたことがある人は半数もいなかった。

という僕も、被爆者の方から証言を聞く機会を得たのは、2年前に参加したPeace & Green Boatが、原爆が投下されて70年後の長崎に寄港したからであった。

「原爆が落ちた」という表現は適切でないようにおもう。正しくは、核爆弾は空中で炸裂するのであり、360度、摂氏何千度という熱線とすさまじい爆風が襲い、それは突き刺すように骨をも貫通する。

「闇」というキーワードにハッとした。
原爆の象徴とされる「きのこ雲」は空から撮影されたもので、被爆者は誰も見ていない。逆も見えてない訳で、その瞬間、何が起こったかを知っているのは、被爆者だけである。

昨年の第92回地球一周クルーズでは、第9回となる被爆体験を世界に伝える証言の航海(おりづるプロジェクト)が実施され、数名の被爆者の方が共に乗船され、世界各地で原爆被害の証言を行う一方、船内でも様々な企画が実施された。

そして今回、核兵器の非合法化と廃絶を目指すICANが国際的に評価され、ノーベル平和賞を受賞したことにより、核の非人道性を訴え続けた、広島や長崎の被爆者の声を東京でも聞く機会に恵まれた。

語り部ひとりひとりの体験を共有する、より多くの人に耳を傾け、知ることが大切であるとおもう。

被爆者の声は、決して過去の事ではない、私たちの住む地球には、
人類を破壊する1万5000個もの核兵器が置かれているといわれ、※1)「核兵器を保有する者たちは、全世界を人質に取りその恐怖を与え、私たちを安全にするどころか、核競争への参加へと他者を駆り立て、紛争を生み出しています。
核兵器は権力者が他者を支配するための大量虐殺的でありかつ自殺的な兵器であり、私たちが核戦争を回避してこられたのは、分別ある指導力に導かれたからではなく、これまで運がよかったからで、私たちが行動しなければ、遅かれ早かれ、この運は尽きてしまう」
と、I CAN 事務総長のBeatrice Fihn(ベアトリス・フィン)さんは述べています。
 
※1)At the Nobel Peace Prize Award ceremony held on 10th December 2017 in Oslo, Norway.

September.11.2017

Peace Boat’s 92nd Global Voyage/ After

気がついたら、今しか出来ないことに突っ走り始めていた。

帰国後、共に旅した若者が上京し、泊まるとこを探しているときは、家に招いている。
僕は別に、見返りに何かを求めようとはおもわない。

今までもらった幸せに感謝し、それを少しでもバトンできれば十分だ。
多少、家の中は汚れるかもしれないが、それもいつか、良い思い出となるだろう。
家は人々の幸せを生み出すためにあり、母も、きっとわかってくれると考えている。

ピースボートを出す意味についても記しておきたい。
世界は、日本のように、だれでもパスポートを取得し、好きなところに行ける国ばかりではない。
そういう国に生まれたこどもたちは、外の人と接する機会も少なく、たとえ数年に一度でも、ピースボートが寄港し、会いに来てくれることを望んでいる。

小さいころ、遠い親戚が従妹を連れてやってきたりすると、わくわくしたという思い出はないだろうか?
勿論、ピースボートを出す理由はそれだけではないが、実際に自分がそういう国を訪れ、目にしたことは、強く印象に残る。
おもしろいことに、交流の仕方も世代により、折った折り紙を与える者から、子供たちと一緒に走り回り、ボールを蹴る者まで様々であり、僕の参加したクルーズでは、独自に寄港先で交流したり、帰国後スタッフになった者も多い。

June.06.2017

Peace Boat’s 92nd Global Voyage/ Memory

ピースボートは様々な機会を提供する場である。
参加できることには積極的であったほうがいいと言われているが、僕は、Day 4に書き留めているように、映像を記録したいもしくは関心を持っておりスタッフを志す人たちへの初回講習が行われているとは知らずに、カメラへの興味からミーティングに参加しており、そのとき声をかけてくれた人がいて、映像チームに入り動画の撮影、編集等を経験させていただいた。
それは、単に技術を習得するということでなく、本当に良い時間であった。

僕の乗船したクルーズでは、船内情報番組「クルなび」の収録は、その日に何を伝えなければならないかだけを大まかにピックアップし、台本を用いない、いわゆるアドリブで行っていた。(そのときのCDさん次第で、台本を用意する場合もあるという。)
クルーズディレクターとパートナーの息の合ったトークも素晴らしかったが、驚いたのは、映像チームとの阿吽の呼吸であった。

映像のお仕事は日々のイベント撮影やお天気お姉さん(お兄さん)の収録、集めた動画の編集など多岐にわたるが、クルなび(スタジオ撮影)だけはチーフ自らビデオカメラを回し、常に一言一句を聞き逃すことなく神経を張り詰めていた。

わかりにくい言葉が入ったりすると、すかさず「カット」の声が飛び、撮りなおしである。
チームワークと信頼が、心に響く「クルなび」を作り上げていくことを知るのに、多くの時間は要らなかった。

えっ、僕ですか?
微妙な位置調整、セッティングをやっていました。
じつはクルーズの前半はアトランティック ラウンジ、後半はパシフィック ラウンジで収録していました。
バックの地図が違うんですね。
二人が使うテーブルも、時折違うものに入れ替わっていたりして、高さが異なると、壁との距離を調整して、なるべく同じに見えるようにするわけです。
毎日リアルなライブに接しているわけですから、素敵な時間を過ごさせていただいたとおもっております。

May.10.2017

Special Edition of MV Ocean Dream

地球一周フルクルーズ中の基本的な食事は料金に含まれておりますが、時にはゆっくり目覚め、香り高いコーヒーと厚切りトースト、或いはホットサンドイッチなどとともに、ちょっとだけ上質な時間を楽しむのはいかがでしょうか。

※ オーシャンドリームのカサブランカ・バーでは、朝食を逃した人などに有料で、トーストのモーニングやホットサンドを提供しております。

May.09.2017

Peace Boat’s 92nd Global Voyage/ Returning home

帰国後1カ月はとにかく忙しく、感傷に浸っている時間は無かった。
12月ということもあったが、その中には、オーシャンドリーム号の見学会のお手伝いも含まれ、下船後も多くの92メンバーと関わり、話をすることが出来たのでマイナス志向に陥ることはなかった。
一方、古くからの親友のひとりは同じように高齢の親を抱えており、以前はよく彼の家に泊めていただいたりもしたが、母の亡くなったことを自分の親に知られるのを恐れてか、年明けから連絡が取れなくなった。
まあ無理もない。親を残して旅立つ理由など、人に分かる訳ない。
生命の限界を知り、互いに準備の時間をつくり、無力な治療から解放するには、この方法しかなかったのだ。

奇遇で、第92回クルーズには、僕と同じような余命知れぬ難病の親を抱えた若者と、帰国後すぐに肉親を亡くした若者が数名乗船していた。
比べてはいけないが、自分は親の夢をひとつでも叶えることが出来ただけ幸せであった。

やがて春が訪れ、第93回クルーズが南から戻って来た。
92から連続乗船した友人のひとりが、家に泊まりに来てくれた。いや、正確には、2人泊まった。
後日、その友人が再び家に来て、短い期間であったが、御衣黄桜を見に行き、次に日産本社グローバルギャラリーでレーシングゲームをした。
僕はやりたいことリストにあるジンギスカンを用意し、生まれて初めて2人でケーキもつくった。

庭に唯一残した年老いた梅の木が、今年も実をつけ、就職や学業復帰の便りも聞かれるようになった。

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