« | »

December.06.2021

緑なき島/ 3

出島号の出発が7時30分になるため、昨夜は小倉ステーションホテルに宿泊して、高速バスにて九州・長崎高速自動車道を経て長崎市入りしました。
先ずは電気軌道に乗り大波止で下車、江戸町の魚たつでランチの握り15貫セット(あら汁付)を食べ、今晩の宿泊先、ホテルモントレへ荷物を預け、高島海上交通の午後の軍艦島上陸ツアーに参加しました。

バテロコと炭函元船桟橋には就航船「ブラックダイヤモンド」(2010年建造)が見えますが、チェックインはアパホテル向かいの事務所で行います。
「それいゆ」で来たことを伝えると、即座に長崎で造った船であると返ってきて、会話の糸口が掴めました。
流れとしては最初に軍艦島とゆかりのある高島に寄港、石炭資料館訪問と、ジオラマを使った説明があり、その後海上から軍艦島をひとまわりして、上陸します。
季節的に異外ですが、地理的、物理的に北寄りの波のほうが、上陸しやすいようです。

ここが軍艦島の世界遺産です。
えっ?と思われるかもしれませんが、大正末期までは主に長崎特有の赤土と石灰の混合物を凝固剤として、天草産の岩石を積んだ「天川」と呼ばれる構造で築造されております。コンクリートを巻き立て補強しつつ現在まで使われております。
建築学上貴重な建築物は世界遺産に含まれておりません。
理由は資産対象の期間を1850年から1910年に区切ったためで、登録に際し植民地時代の強制労働の歴史を切り離すためだったといわれます。
坑木の荷揚げを行っていた15tクレーンが据えられていた台を支えるコンクリートは瓦解(がかい)しておりますが、石積護岸は閉山時の姿を保っており、明治期の土木技術を垣間見ることができます。

市内に戻ると日も翳り、フロントでルームキーを受けとり、今年で創業90年を迎える長崎おでんの桃若にて晩酌しました。

端島(軍艦島)には6年前にも上陸を試みましたが、ドルフィン桟橋の着岸に成功したものの、海水が桟橋階段を駆け上がってしまい、上陸許可が降りませんでした。(階段は元々のものではなく、見学コース整備時に、桟橋の中央部分が階段上に削り取られたものです。長崎市の規定では波の高さが0.5mを超える場合、上陸はできないと定められており、10k程離れた伊王島に設置されている波高計を基準としています。)この間にまるで島全体が解体されているかの如く崩落が進行したことに、驚いています。
そして、建築家ル・コルビュジェが鉄筋コンクリートによる住宅建設方法であるドミノシステムを考案※1)した僅か2年後に、日本人により建てられた日本最古のRC(鉄筋コンクリート)集合住宅も風雨と歳月に晒され危機的状況であると知らされ、記憶と共に失われる前に、兎にも角にも再訪しました。
※1.彼が近代建築の五原則を構築する中でクック邸を建てたのが、1926年です。

Trackback URL

Trackbacks

Comments

Comment





XHTML: You can use these tags:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>