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December.08.2021

20世紀の光と影/ 三池炭坑

貝塚公園に展示されている、九州特急に使われた寝台客車を見に行きました。
今から半世紀前、九州各地と東京を繋いでいたのは東海道・山陽路をひた走る幾本もの夜行列車でした。
その中でも、当時最新鋭の、空調付き固定編成の20系寝台列車は※1)動くホテルと称され、当時の人々の憧れでした。
※1.1898年の山陽鉄道時代から1976年に廃止されるまで、優等列車には「列車ボーイ」といわれる給仕が乗り、寝台車ではベッドメイキング(今でいうターンダウン)などのサービスがありました。

滞在が伸びたので、西鉄に乗り換え大牟田に行き、もう1ヶ所の世界遺産、三池炭坑宮原坑を訪ねました。
高島、端島が三菱であったのに対し、三池炭坑は三井財閥が明治政府より購入して近代化が進められました。

炭坑は地下水との闘いで、昭和6年までは国の内務省が設置した三池集治監に収監された囚人を採炭労働に使役させていました。
現存する第二竪坑はその後坑内水の汲み上げと定期点検に使用され、1997年の三池炭坑閉山後も蜘蛛の巣状に張り巡らされた坑道を伝って機械を運び出すのに、2000年まで稼働しました。

廃墟を観光資源化した長崎市と異なり、大牟田市は三井からの無償譲渡提案を断ったといわれますが、幾つかの施設が世界遺産に登録されたことにより、国から管理を委託され公開しております。
同市出身で無料ガイドを務める川口晴久氏に案内していただき、炭坑節に見送られ、帰路につきました。

宮原抗跡第二竪坑施設と三池本線鉄道敷跡
竪坑櫓 高さ22.05m深さ約160m
1901(M34)年、イギリスから輸入された鋼材を使用したリベット止めラチス組み
2基のケージ(昇降機)を備える
ひとつの捲揚機で、ロープが一方(手前側)は上から、もう一方(奥側)は下から巻いてあり、同時に2台のケージを動作させ、一方が上がると、他方は下がる仕組みになっています。
巻胴は左右のロープが干渉しないよう、中心から左右に向け勾配がついています。
動力は蒸気機関から、1933(S8)年にモーターに置き換えられました。モーターの左(奥)に、ケージの位置を確認するメーターゲージが見えます。
炭がん(炭車)が逸走して勝手に抗口に侵入するのを防ぐ安全装置(傍のペダルを足で踏むことで解錠)と、鉄板が敷かれた場の頭上には交差して架台、天井クレーンがあり、ここで方向転換を行ったようです。
第二竪坑の排水管
かつては坑内排水のために蒸気動力のデビーポンプが2台設置されており、今もデビーポンプ室の一部外壁(右手)が残っています。

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