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February.11.2022

マス釣り

D君、T君が鍋割山、陣馬山の登山に続き、京浜運河での釣りに誘ってくれたのは、2019年2月10日、この日は夕方からPB101stの若者向け乗船者説明会と交流会があった。
2020年の11月、再び3人でアウトドア同好会が結成され静岡をベースに活動を始めるが、釣りに関しては長い間、お金のかかる趣味であることが重くのしかかるだけであった。
さすがに自分には向いていないと気付いたが、D君はそれでも言葉巧みに誘ってきた。
御殿場でトラウトのロッドとルアー数点を購入、翌日東山湖(管理釣り場)でスプーンを用い2匹、バニクラで3匹、デカブングでも1匹、合計6匹を釣り上げた!!(この日の3人合計は30匹)
恒例となった焼肉、T君は誰よりも美味しそうに食べることに長けており、いつしかまた一緒に会食したい、腐れ縁とはこういう間柄を指すのであろうか。

February.04.2022

兵庫で出会った鉄道風景

兵庫県は大阪湾や播磨灘に面した地域から日本海沿いの山陰海岸に至るまでの広い地域に鉄道が敷設され、他にはない特徴を持つ地方鉄道も多く存在していました。

写真左上より時計回りに、別府鉄道土山線のハフ7形2軸客車(1918=T7年製造)、垂水の海神社(わたつみじんじゃ) 秋祭りの御神輿、神戸電鉄有馬線 鵯越(ひよどりごえ)の50‰(パーミル)勾配※1)に挑むデ300形(1960=S35年製造)、阪急電鉄における平面軌道交差(通称ダイヤモンドクロス)
※1. 現在では普通鉄道構造規則で新設する本線路の最急勾配は35‰以下とするよう定められています。

  • 別府鉄道はべっぷではなく、べふと読みます。兵庫県南西部の別府港と国鉄高砂線(1984年12月1日付廃止)の野口駅および山陽本線土山駅との間で多木製肥所(現多木化学)の製品を運搬する目的で設置されました。旅客輸送は地元還元が主目的でおまけ的存在であったため、近代化されぬまま貨物との混合列車が1日4往復のんびり運転されていました。
  • 神戸電鉄300形は同社初の高性能車で、以後の増備の礎となった車両ですが、阪神大震災の起こる前年、老朽化のため廃車(形式消滅)されました。
  • 阪急西宮北口駅の平面軌道交差
    1984年に今津線が神戸線の輸送力増強に伴い南北に分断されるまで、神戸線と今津線は同駅構内において平面交差しており、合わせて1日に約660本もの列車がダイヤモンドクロスを横断しておりました。

撮影:1982.10.12

February.03.2022

さかさまレストラン

本州四国連絡橋が架かる以前は、東から四国へ旅するには、大阪の弁天埠頭から出航する関西汽船を利用するか、岡山を経由して宇野ー高松間に運航されていた宇高鉄道連絡船を利用するのが一般的であった。
その他にも和歌山港と小松島港を結ぶ南海フェリーや、下津井ー丸亀航路など、それぞれに長い歴史を持った航路が存在したが、先の2つのルートは、国鉄発行の四国ワイド周遊券の乗車経路として利用することができた。
旅の途中で岡山に立ち寄ることもあり、一房数千円もするマスカットをご馳走になったこともあった。
あるとき※1)、国道2号線を倉敷に向かったところに、PAPIN(パピン)という喫茶店が出現し、話題になった。
外観が逆さまなら店内も逆さまで、鉢植えが天井から下がり、テーブルは水平なのだがカップや椅子などあらゆるものが傾斜しているから、平衡感覚が狂う。そのため気分が悪くなる人も出たというが、当然ながらトイレも傾斜していた。(笑)
あまりに目立ちすぎたため交通事故が多発し、バブル崩壊とともに早々に撤去されたが、すべて斜めにゆがめて建てたのは建築学的にも類がなかったという。
※1. オープンは1979年秋
商店建築 1979年12月号に、「建物が逆立ちし2方向に傾いている奇想天外なアイデア」と紹介され、ノウノ設計事務所(岡山)の記載があります。

1983.12.23
すべらぬ灰皿が昭和です。
傾いているのはコーヒーカップ、バスケット、間仕切りのほうです。

February.01.2022

さろまにあん

湧網線は、中湧別からサロマ湖、オホーツク海、能取湖、網走湖の沿岸を通り、網走に至る総延長89.8kmに及ぶ鉄道路線であった。

あれっ、網走が起点ではないの?と疑問に思う人もいるだろうが、当時は宗谷本線の名寄から、遠軽に至る名寄本線(138.1km)も存在した。
僕が冬の北海道を旅したり遊ぶことができたのは、国鉄(日本国有鉄道)が道内各地を繋いでいたからである。
バスのように会社ごとに路線・停留所が複雑ではなく、運賃も安い。
ホワイトアウトで事故に巻き込まれる心配もなく、多くの職員を雇用していた時代は運行も概ね正確であった。(それでも北海道の雪はサラサラであり、予期せぬ吹き溜まりに突っ込み救援列車が出動することもありました。)
標題の「さろまにあん」は経営者が代わり、今もゲストハウスとして営業する。

海の上のスポーツ、パラセーリングを雪上で始めたのは、サロマ湖の旅人宿「さろまにあん」が最初であった。
1987.3.19 ラストラン
JR発足まであと13日、当時、国は国鉄民営化後の経営悪化を避けるため、全国の赤字の大きい路線を廃止した。
日本海に沿った留萌ー幌延間の羽幌線(141.1km)が、国鉄最後の廃止路線となった。
1987.3.16 古丹別駅にて

戦後発展を遂げた国鉄のデイーゼルカーは、戦前に開発を中断した旧式の内燃機関を完成させ標準機関として長きにわたり使用してきたため出力が不十分であり、電動機を使用した電車や機関車牽引の客車列車と比較して車体断面が小さく、特急車両には機関を2台装着するなど設計に苦心していた。