February.01.2022
さろまにあん
湧網線は、中湧別からサロマ湖、オホーツク海、能取湖、網走湖の沿岸を通り、網走に至る総延長89.8kmに及ぶ鉄道路線であった。
あれっ、網走が起点ではないの?と疑問に思う人もいるだろうが、当時は宗谷本線の名寄から、遠軽に至る名寄本線(138.1km)も存在した。
僕が冬の北海道を旅したり遊ぶことができたのは、国鉄(日本国有鉄道)が道内各地を繋いでいたからである。
バスのように会社ごとに路線・停留所が複雑ではなく、運賃も安い。
ホワイトアウトで事故に巻き込まれる心配もなく、多くの職員を雇用していた時代は運行も概ね正確であった。(それでも北海道の雪はサラサラであり、予期せぬ吹き溜まりに突っ込み救援列車が出動することもありました。)
標題の「さろまにあん」は経営者が代わり、今もゲストハウスとして営業する。
海の上のスポーツ、パラセーリングを雪上で始めたのは、サロマ湖の旅人宿「さろまにあん」が最初であった。 |
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1987.3.19 ラストラン JR発足まであと13日、当時、国は国鉄民営化後の経営悪化を避けるため、全国の赤字の大きい路線を廃止した。 |
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日本海に沿った留萌ー幌延間の羽幌線(141.1km)が、国鉄最後の廃止路線となった。 1987.3.16 古丹別駅にて |
戦後発展を遂げた国鉄のデイーゼルカーは、戦前に開発を中断した旧式の内燃機関を完成させ標準機関として長きにわたり使用してきたため出力が不十分であり、電動機を使用した電車や機関車牽引の客車列車と比較して車体断面が小さく、特急車両には機関を2台装着するなど設計に苦心していた。
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