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July.26.2016

地球一周の夢に向けて-17

自分の手で船を出すことに携わりたいとおもっている。

目標は、実社会における地位や年齢に左右されず誰もが平等であり、若さと活気に満ちた新しいクルーズ文化の構築であり、日本にはピースボートという世界に類を見ない、誰でも参加できるところの船旅がある。

70歳、80歳になってもクルーズに参加することは可能であるが、自分が何かをやろうとしたら、今しかない。
この船を出したい、その想いは10代、20代にも負けないつもりである。

現在クルーズの黎明期において、Ocean Dreamと比較してアコモデーションやアメニティで勝っていたと言える船はそれほど多くない。むしろ北米のクルーズ会社は食事に関しては量はあるけど不味いというのが定説であり、欧州は中古船の市場であった。
それはわが国のようにクルーズをステータスシンボルとしているのでなく、モノクラスのレジャーとして安価であり自由を尊重し若い人たちの間に広がっていったからで、小さなクルーズ船を支えたのは若いクルー達であり(その頃の僕は、どの船でもスポーツインストラクターと仲良くなっていた)、市場を大きくしたのは、絶えず新しい価値を創造し可能性に挑戦し、人びとをわくわくさせたからではないだろうか。

生まれた時からすべてが決まり手の付けられぬ世界なんて面白くないし、次の世代がそれを壊し、変えるのは自然な流れであろう。
クルーズの世界にも、船内新聞はiPadで配信、エンターティメントの席はWebで予約、ロボットがカクテルをつくるような船が出現しています。
このような船が主流になり得るかどうかは別問題です。

捕捉すると、日本にも1999年まで、「新さくら丸」という、ピースボートも複数回チャーターしたユニークな船(外航純客船)がありました。
とくに1994年4月28日~7月20日実施の第16回航海は、日本船としては約20年ぶりの世界一周で、引退する1999年1月19日~4月16日実施の第25回航海は、日本船初の喜望峰~マゼラン海峡を通る世界一周でした。
生まれは日本の貿易振興と国際親善を目的とした巡航見本市船で、客船としては珍しい単発エンジンでした。
改装にあたり展示スペースに新設されたキャビンはアウトサイドでも窓がなく、反面、700㎡もあるスポーツ甲板は、この船の特徴のひとつでデッキランチや洋上運動会が盛んに行われました。
サービスは他の商船三井の客船と遜色なく、庶民的な船でした。

今朝、Ocean Dreamが第91回地球一周の旅を終え、横浜港大さん橋に戻ってきました。
出港のときの笑顔も素晴らしかったけど、帰ってきたときの笑顔はもっと素敵でした。

横浜では燃料補給や食料の積み込みがあり、神戸に向け出港しました。

※写真∶ 引き船は東京汽船の春日丸187tです。

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