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December.15.2017

i canを知ってますか?

ノーベル平和賞は、過去の功績を讃えるために与えられるものではない。

未来への願いを込めて、贈られる期待であると、解釈するのだという。

November.1.2017 at Tokyo

ほぼ毎水曜日に様々なジャンルのスピーカーを呼び開催されるピースボート勉強会(地球大学の一環で乗船の有無に関わらず受講可能)、今回のタイトルは、ピースボートが2007年から活動に携わるICAN(International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)がノーベル平和賞を受賞したことに伴う緊急企画、「今こそ聞こう 被爆者の声」である。
ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)とは、Wikipediaには、各国政府に対して、核兵器禁止条約の交渉開始・支持のロビー活動を行う目的で設立された国際的な運動の連合体であると記されている。

ピースボートが果たしてきた役割のひとつは、核兵器の非人道性の土台である、広島・長崎の被爆者たちの声を世界に伝えることであるが、メディアを含む大勢の人で埋め尽くされた広い会場に、被爆者の生の声を聞いたことがある人は半数もいなかった。

という僕も、被爆者の方から証言を聞く機会を得たのは、2年前に参加したPeace & Green Boatが、原爆が投下されて70年後の長崎に寄港したからであった。

「原爆が落ちた」という表現は適切でないようにおもう。正しくは、核爆弾は空中で炸裂するのであり、360度、摂氏何千度という熱線とすさまじい爆風が襲い、それは突き刺すように骨をも貫通する。

「闇」というキーワードにハッとした。
原爆の象徴とされる「きのこ雲」は空から撮影されたもので、被爆者は誰も見ていない。逆も見えてない訳で、その瞬間、何が起こったかを知っているのは、被爆者だけである。

昨年の第92回地球一周クルーズでは、第9回となる被爆体験を世界に伝える証言の航海(おりづるプロジェクト)が実施され、数名の被爆者の方が共に乗船され、世界各地で原爆被害の証言を行う一方、船内でも様々な企画が実施された。

そして今回、核兵器の非合法化と廃絶を目指すICANが国際的に評価され、ノーベル平和賞を受賞したことにより、核の非人道性を訴え続けた、広島や長崎の被爆者の声を東京でも聞く機会に恵まれた。

語り部ひとりひとりの体験を共有する、より多くの人に耳を傾け、知ることが大切であるとおもう。

被爆者の声は、決して過去の事ではない、私たちの住む地球には、
人類を破壊する1万5000個もの核兵器が置かれているといわれ、※1)「核兵器を保有する者たちは、全世界を人質に取りその恐怖を与え、私たちを安全にするどころか、核競争への参加へと他者を駆り立て、紛争を生み出しています。
核兵器は権力者が他者を支配するための大量虐殺的でありかつ自殺的な兵器であり、私たちが核戦争を回避してこられたのは、分別ある指導力に導かれたからではなく、これまで運がよかったからで、私たちが行動しなければ、遅かれ早かれ、この運は尽きてしまう」
と、I CAN 事務総長のBeatrice Fihn(ベアトリス・フィン)さんは述べています。
 
※1)At the Nobel Peace Prize Award ceremony held on 10th December 2017 in Oslo, Norway.

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Comments

義母は、被爆者です。
女学生として、呉鎮守府近くの女子挺身隊として招集されていました。
だから、正確には入市被爆ですけれどね。
被爆地を徒歩で歩き続けて、女学生が固まって帰宅したようです。
一日二日で歩ける距離では無いですが。
だから、サメ氏は、被爆二世です。
先月、友の父が他界されました、99歳。
戦艦大和の生き残りです。

戦中戦後と、今。
隔絶の感があるのは当然ですが。
断ち切れてしまっているのは危険だなと思っています。
あの怖さ、許され無さが、情報として残されるべきですよね。
変な洗脳を受ける前に。
不動の是非があることを。

この歳ですし、土地柄もあって被爆者は常に身近にお存在しつつ、自分も育った感じです。

くちかずこさま
貴重なコメントをいただき、ありがとうございます。

そうですね、助かる命があっても救えず、この度証言された方は、当時16歳で学徒動員で被爆し、惨状を目に焼き付け、ひたすら自力で救援列車の出る駅まで辿り着きました。
そこで、「被害は僅少」という、大本営(当時の日本軍の最高統帥機関)が発表するためのビラを目にしています。

最初は言葉の壁や歴史認識などが障害となり、被爆者の声はなかなか海外で聴いてもらえなかったと聞いております。
しかし、被爆者は戦争の恨みごとを言いに来たのではない、核の非人道性について証言していることを粘り強く訴えたことにより、昨年10月の国連総会第一委員会での「多国間の核武装撤廃交渉を来年から開始する決議案」の採択を経て、「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用の禁止ならびにその廃絶に関する条約」が122か国・地域の賛成多数により採択されるに至ったのだと確信しております。

条約の推進に大きく貢献したと言われるのがICANで、第92回地球一周のニューヨーク寄港はこの採決直前に国連を訪問し、航海中に決まった採択の喜びと共に、日本国が反対票を投じたことへの失望もありました。

残念ながら、全核保有国とアメリカの核の傘の下にある国々は不参加、当初は条約に賛成だった北朝鮮も核兵器の開発に成功後、不参加に転じており、これらの指導者は真実から目を背け、抑止という幻想を説いているようにおもえます。

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