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April.30.2018

水先案内人

この船には同姓同名の水先案内人が乗船している。
しかも彼はソーシャルクリエイティブプロデューサーであり、長崎県川棚町こうばる地区のドキュメンタリー映画を制作した映画監督でもある。

彼は、大企業の大量消費を促すコマーシャルを作ることに疑問を抱き、社会の広告社として独立した。

彼の作品は、ふるさとの魅力を内外に発信すると共に、国家予算と公共事業に頼る市政から脱し、そこに暮らす人々が地域の良さを発見し、自信を持って、若者の移住やUターンできる環境を整え、最終的には地域自体がそれを継続していく(自生)ことを念頭に考えられている。

釜山出航後の船内は、関心を持てる企画が目白押しで、TABIPPOのライターも務めたアームさんの「キャンピングカーをレンタルしたアメリカ横断のお話」など、幾つかの自主企画にも参加した。
「今時の?若者が大好きなゲーム」は深夜帯にも拘らず、世界遺産マイスターであり、水先案内人を務める片岡英夫さんの参加もあって盛り上がり、時間を延ばした末、波へいに場所を移し、1時まで交流が続いた。

7デッキにお風呂(その名も世界湯 ♪)が、出来ました。

April.29.2018

釜山の海

釜山の停泊は2日間あり、今日はひとり、五六島と海を見に出掛けた。

じつは地下鉄2号線に乗り、慶星大学・釜慶大学駅で降り、二妓台都市自然公園方面行きのバスでスカイウォークを目指した者が、もう一人いた。

スタッフのムギちゃんで、二人でトレッキングルートを往復2時間(約1/3)ほど歩き、釜山駅で別れ、気になっていたKTX駅構内の寿司(12貫12,000ウォン)を食べ、徒歩で戻る。

僕は今まで韓国を旅して、親切にされたことは数えきれないほどあるが、嫌な思いをしたことはない。むしろ、以前勤めていた会社の同僚とか思い返すと、なんで外から来た人にそんなに冷たい対応をするのかと言ったことはある。

韓国第二の都市、釜山の海は、日本のどの大都市にある海より、自然が残り、美しかった。

だが、ここから北東、直線距離にして僅か32kmには、古里原子力発電所が息を潜めている。

April.28.2018

3年目の釜山


M/V Ocean Dreamは2015年8月より共用開始した釜山港の影島地区の新しいクルーズ埠頭に着岸、釜山駅までは無料のシャトルバスが運行された。

パスポート返却後、入国審査開始の案内に合わせ、4人でグループをつくり、ピースボートセンターのある辺りで待ち合わせた。

僕には過去の地球一周で心残りなことが幾つかあり、ひとつは、出航前日まで、当時難病を患っていた母の介護に時間を費やし、寄港地について下調べする余裕がなく、自ら計画、行動することを避け、癒しとなったてっちゃんに頼り過ぎてしまったことだ。

釜山に入港が決まると、船内で土城までの地下鉄とマウルバスの経路を調べ、Mちゃん、Bちゃんを誘い、アームレスリング全国大会優勝経験のあるアームさんも加えた4人で甘川洞へのツアーを組んだ。

甘川洞は、朝鮮戦争を背景に独特な階段式住居が建ち並ぶ、文化的価値の高い場所であることから、文化村とも呼ばれている大変美しいところであるが、日本人の姿は殆ど見ない。

甘川の再生プロジェクトには、持続可能な社会物語の著者であり、韓国を代表する建築家のスン・ヒョサン氏やアーティストが加わり、スタンプ地図(販売)と村企業(ゲストハウスを運営)の収益が、老朽化した住宅のリフォームや地元住民への福祉サービスに充てられている。

僕にとっては、3年前のPeace & Green Boatに於いて、母を連れて旅した最後の場所でもあった。

チャガルチに向かい地下鉄で移動するが、デフォルメされたフリーマップを読み違えて佐川という駅で下り、誤りに気づくも佐川急便と関連があるのではという囁きから、地上を彷徨った。(笑)

意味不明な行動のあとUターンし、水産市場を一通り見学の後、市場外の安価な店で刺身を中心としたコース料理(1人15,000ウォン)を食べ、釜山国際映画祭が最初に開催されたことで知られる、BIFF広場の屋台でおもいおもいにスイーツを購入、タクシー(4人集まれば、地下鉄より安価なことが判明)で船に戻り1日目を終えた。

  • 市場に並ぶホヤ

韓国ではホヤ(멍게조개 / モンゲ)を加工品や刺身として食べるようで、東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故前は、日本の三陸産ホヤの多くは韓国へ輸出されていました。

大きい皿は鮮魚の刺身、サンチュやエゴマの葉に載せ、辛味噌で食べるらしい。海老の一口握りやワタリガニの天ぷら、煮魚、左奥がホヤです。(写真は4人前)

April.27.2018

えっ、釜山

機関長より、急なメンテナンスが必要との報告を受けた運航会社の判断により、本船は昨日、航路変更を決定しました。
かっては船の安全はすべて船長の責任でしたが、通信技術が発達した現在は、船と陸上が一体となって安全運航に責任を持つこと(船舶の安全運航の管理)が、SOLAS条約により義務化されています。
南北首脳会談が行われる日、そんな歴史が動くかも知れない日に釜山へ針路を取ることになるなんて奇遇です。

残念なことに、「今、韓国を訪れることの意味」という昨日の講座において、観光情報をもらえると勘違いしていたのか、何名かの方が途中で退席されました。
朝鮮戦争は、東西冷戦(アメリカと旧ソ連)によって引き起こされた悲劇のように、何となく理解しているつもりでしたが、そもそも大日本帝国が朝鮮半島を支配し、関東軍が駐留していなければ、ソ連が北から侵攻する理由はなく、米国が南から上陸して領有を主張することもなかったわけです。

アメリカとロシアは、第二次大戦の終結後、日本軍を武装解除するという名目で、38度線で朝鮮半島を二分したのです。

日本では8月15日を終戦記念日としておりますが、終戦の日は国によって、また、何を以って終戦にするかによって、異なります。
そもそも、終戦という言葉は戦争を終えるという意味ですから、ドイツでは、敗戦と解放という表現が用いられ、植民地支配を受けた国からみた場合も、それは解放であり光復であります。

April.26.2018

2日間の終日航海

2日目の午前は企画の中止が相次いだが、午後は少し波も落ち着き、ピースボートと災害支援の歩みや、今回唯一、オプショナルツアーを選択した、長崎県川棚町のこうばる地区と、石木ダムについての講義などを聴いた。

ウェルカムセレモニーの会場入口で、もはや絶滅危惧種的な、東京の顔馴染みである数少ないヤングのMちゃん、Bちゃんと合流出来て嬉しかったが、彼女らもまた、地球一周の同じクルーズを予約している人が船内に8名いると聞き、大勢の中から1.000分の8を見つけるのは、雲をつかむようであった。

3日目を迎えた朝、こうばる地区を題材にしたドキュメンタリー映画、「ほたるの川のまもりびと」の先行上映会が、ブロードウェイラウンジで開催され、こうばるの豊かな自然と、人々の絆に感銘するとともに、訪ねることがひとつの関心ごとから楽しみに変わった。

April.25.2018

3度目の出航

最高齢は92歳、最低齢は1歳であるが、10代〜30代は2%にも満たず、初日の晩に限定的なグループ交流会が開かれた。
地球一周においてはボランティアスタッフの参加により運営される船内チームは、総勢約50名と紹介のあったピースボートスタッフのみで組織され、ピースボート対お客さまという、中途半端な距離感を感じずにはいられなかった。
これも試行錯誤のひとつか。

彼女(M/V Ocean Dream)がはやく地球一周に出たがっているからなのか、天候も冴えない。

出航時刻が21時になり、見送りを期待はしていなかったが、出航セレモニーが始まると、くじらの背中(大さん橋屋上の愛称)にたくさんの黄色い灯りが、こちらを意識して揺らぐのがはっきりわかった。後に、過去乗船者やスタッフなどが、遠方から駆けつけ見送ってくれたことを知った。