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June.29.2018

石柱が伝える興津の賑い

江戸時代、(上総)興津は江戸と東北を結ぶ重要港で、妙覚寺には仙台藩役所が置かれていました。仁王門は、江戸末期の当地方の代表的な建物と言われます。

寛文11年(1671)、阿武隈川河口から江戸へ向う東廻り航路が整備され、九曜星の旗を掲げた仙台藩の千石船が入ってきたと記録があり、三方を山に囲まれ、巾着の形をした興津湾は、東北諸藩が江戸に廻米(かいまい)する交易船の碇泊地として、また房総沿岸有数の避難港として、動力船が開発される以前の潮待ち、薪水補給の地として、興津千軒の繁栄をもたらしました。

船を停留させておくための繋船柱の石材は当時仙台藩によって運ばれたもので、全長3メートル余、石巻近在に産する粘板岩でできており、かつて港の弁天崎磯際に十数本も並立していたそうです。
繋留する船舶は一艘につき金1朱と御供米2升、500石以下は200文を、当時の土地の所有者である妙覚寺に納めたといわれています。

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