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June.11.2022

日栄湯

嘗て湯屋は平安の頃始まり、江戸の時代に確立された日本の庶民文化のひとつでした。

5月のある日、Tさんと南山手に宿泊し、2日目の七つ下りに、大浦町の銭湯を訪ねた。
長崎市内で営業を続ける銭湯は現在2軒、大正末期に建てられ、1945年8月9日のピカに遭うも爆心地から離れた石橋近辺の木造建物は、かろうじて倒壊・火災から免れた。

玄関は少し掘り込まれ、斜めに配置された入り口の扉から男湯、女湯で分かれる。下足スペースおよび男湯と女湯の間のタタキから立ち上がる番台、脱衣所は一体を成し、先ずは女将(番台さん)に、入浴料を支払う。
タオルは勿論、石鹸、シャンプーも個人持ちであり、石鹸は番台にて貸出料を払い、借りることができた。
貴重品は番台に預けるシステムであるが、籐で編まれた脱衣籠は、次第に鍵のかかる木のロッカーに変わっていったと記憶している。
脱衣所で服を脱ぎ洗面具を片手に浴室への戸をスライドさせ、桶と椅子を取り、洗い場で体を流してから浴槽に浸かる。
カラン(蛇口)には水用(青)と湯用(赤)のレバーがあり、手で押すと吐水、離すと止水する。
頭上の低い位置に、配管剥き出しの、如何にも後付けとわかる固定されたシャワーがある。
主浴槽は中央に配置、かけ湯をして先ず暖まってから体を洗うのがならわしらしい、東西文化の違いが感じられる。
子どものときは湯上がりにフルーツ牛乳を買ってもらうのが楽しみであった。
脱衣所の休憩スペースに備わる冷蔵庫から、自分で飲み物を取り出して、番台にて料金を支払う。

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