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June.12.2019

Peace Boat’s 101st Gloval Voyage/ Day53

水先案内人として乗船された森 達也さん(映画監督)は、オウム真理教の事件後に、教団の広報に取材を申し込み、密着取材を試みたが、TV局の圧力を受け、作品を映画として完成させるとともに、「A」というタイトルをつけ、1998年に公開した。

ドキュメンタリーは、素材は事実であっても、編集されることにより、フィクションになるという。

当時オウム真理教はカンボジアのポルポトと似た、身勝手な理由で大量虐殺を計画し、1995年3月20日に地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(通称地下鉄サリン事件)を起こした。
実行犯の中には、それが何であるか知らず、与えられた任務として犯行に加わった者もいた。

事件直後の社会の態度をオウムの内部から映し出した。
すなわち、教団の一人と取引(取材依頼)するなどということは暗に禁じられ、取材の手順を欠いた隠し撮りや突撃取材が公然と行われ、公安警察が教団信者を、公務執行妨害をでっち上げて強引逮捕した場面が初めて映像に記録された。
切り取る視点を変えた、生々しく、衝撃的なドキュメンタリーである。

当時教団の広報を担当していたAは、どこにでも居そうな心優しい青年であり、凶悪なサリン事件など起こすようには見えない。
逆に言えば、加害者としての意識が薄く、彼もまた歯車のひとつとして動いているだけである。

海外の映画祭において、「ドイツも同じよ」というコメントがあったという。
それは、歴史上一度起こったことが繰り返されることを意味した発言と僕は捉える。
ヒトラーは、国民に選ばれた政治家であり、反ユダヤ主義を掲げて、(第一次)大戦に負けて不況に陥ったのはユダヤ人のせいだと広報活動を行ったが、それは国民が望む声を代表したに過ぎなかった。
学術は優秀であっても人間教育に欠ける、別の言い方をすれば、日本とドイツの戦後教育の違いの表れであろう。

※ 上写真はNY市の50番街駅にあるアリスインワンダーランドのタイルアート
下写真はBattery Park Control House、NYの最初の地下鉄会社であるInterborough Rapid Transit Companyにより1905年に建てられた駅本屋。

  • Local time June 11 (Tue) 23:00

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