July.04.2024

S.S. Columbiaポスター出来ました

実写ポスターが仕上がりました。
1907年に建造したと思われるsteam
TugboatのHerculesは力持ちです。
” USC “はWE SAIL THE WORLD OVERを掲げますが
、1912年当時(第一次大戦前)の大西洋航路は、英独
が独占しており、米国のシェアは低いものでした。

June.30.2024

ホームページとブログの素敵な関係

htmlを書き始めたのは、今から20年前である。
Web化された業務システムのソースコードに興味を持ち、タグを見よう見まねでメモ帳(初めはテキストエディタを知らなかった)に書いたのが始まりであった。
その頃、毎年北の礼文島と南の吹上浜を行き来していたので、旅の記録を何か形にできないかと考えており、次々とアイデアが生まれた。
元々ITの知識など持ち合わせてなかったから、やりたいことが先行して、それをどう表現するか考えるだけで、常識に捉われることなく自由につくりあげた。
当時の通信技術であったADSLでは、大容量のデータは読み込みに時間がかかり嫌われたので、画像の質を落とさないために、html-file上の一部のコード、情報を省き、表示をブラウザに依存した。日本でリアルタイムのコミュニケーションネットワークが普及していなかった時代としてはアクセス数を稼いだ。しかし、文書構造の定義が厳格化されると大幅な手直しが必要になり、また、コンテンツも増加したことから、CSS(スタイルシート)を用いたWebサイト制作に移行した。
” ポテトのポ “を開設した翌年にはblogが広まり、面倒なソースを毎回書く必要がないことから、写真はwebsite(HP)、文章はweblog(blog)に振り分けた。

このような使い分けをしたのは、開設当初のblogはプロバイダーが提供しており、大きな画像が扱えなかったためで、後にWordPressに移行したことで、容量の制限が無くなり、phpへの書き換えによりデータベースを経てサイト内検索が可能になったこともあり、最新のコンテンツはWordPressのblog中心に展開して、デザインの自由度が高く、頻繁に更新する必要のない情報に適したHPとはリンクを介して※1) ” 一体的なサイトづくり “を目指している。

blogは新しい記事を書くと、過去の記事がどんどん奥に入ってしまうが、HPは情報が階層別に並べられ、わかりやすく整理して発信できるので、一体的にデザインすることで、互いのメリットを引き出すことができるのではなかろうか。

※1) 当blogからは別タブで開きます。

余談
S.S.Columbia出航の地と記されるPier54は1902年に着工、チェルシーの9つの埠頭(オーシャンライナーバース)を相互接続する上屋が、グランドセントラル駅を設計したWarrenウォーレンとWetmoreウェットモアの建築事務所により設計され、1910年完成しました。1935~1936年にかけノルマンディやクイーンメリーなどが就航し、より長いバースが上流につくられ、晩年は貨物の積み下ろしに使われました。1912年4月18日、カルパチアがタイタニックの712名の生存者を上陸させ、1915年、ルシタニアが出航した場所として知られ、第二次大戦の勃発時、アメリカが関与した4年間で、多くの若い兵士がここから出発して、命を落としました。着工以前、埠頭の周囲は荒廃していました。
この歴史的に重要な場所は復元を望む声がありましたが、近年価値の低い公園に姿を変えてしまったようです。

June.25.2024

Electric Railway

最初は固定機関とケーブルによる高架交通システムの特許を以てスタートした。
この仕組みは構造上問題があり普及に至らなかったが、道路の上に鉄の架台を設け、蒸気鉄道を通すアイデアはその後マンハッタンの発展に寄与した。
高架鉄道は時代の象徴であり、騒音に煤煙、住民のプライバシーなどが軽んじられ、有力者は自分の土地から高架鉄道を遠ざけた。

19世紀半ばにはNYの交通は既に機能不全に陥っており、New York Elevated Companyは1871年4月20日、大通りの上に鉄の架台で支えられた9番街高架鉄道を開業、その後1880年までに6番街、3番街、2番街の路線を開業しました。
1902〜03年の間に、すべての路線は蒸気から電気に転換されましたが、1904年に地下鉄の建設が開始され、マンハッタンの高架鉄道は1938〜55年の間に解体されました。

イタリアデザインの客船の来航をイメージ →

June.24.2024

S.S.Columbia

  • ↖ S.S. Gargantua’s
    propeller
  •  
  • ← Sausage and chicken
    vegitable soup
  •  
  • ↓ Rare cheese mousse
    and mint foam with
    peach and roasted
    almonds
  • ↗ Steamed kimme sea
    bream and summer
    vegetables
  • → Grilled Japanese
    black beef sirloin
    with cranberry
    sauce
  • Maiden voyage: 20 Mar 1912
  • Vessel description: Steel Screw Steamer 2 masts
  • United States Steam Ship Company

May.29.2024

鴨フラージュ

If you Click on the image, you can find the duck from the full image.

May.23.2024

Photogenic Spots in Shikoku

丸亀-金蔵寺-琴平-高知-仁淀-下灘-大洲-内子-道後-松山-三津浜

  1. 金刀比羅宮旭社(ことひらぐうあさひのやしろ
    )
  2. かしわ天ぶっかけうどん
  3. 讃岐平野と飯野山
  1. 名越屋沈下橋
  2. 仁淀・安居渓谷(やすいけいこく
    )
  3. グランピング
  4. 下灘駅と夕日
  5. 海に沈む線路
  1. 讃岐のこんぴら酒
  2. つぼやきいもとアイス
  3. 内子座
  4. 三津の渡し

May.16.2024

夜行電車で行く四国旅

サンライズエクスプレスかつて東海道線東京口では、新幹線開業後も往復30本を超える寝台特急・急行、普通、荷物などの夜行列車が輸送を担っていました。
その華ともいえる九州特急が全廃され、四国、山陰を繋ぐ’瀬戸・出雲’が唯一の定期夜行列車となるなど、半世紀前には誰が想像したでしょうか。
1956年に東京ー博多間に運転開始された寝台特急’あさかぜ’には、ニ、三等座席車も連結されていました。それは動くホテルと称された1958年投入の20系客車にも受け継がれ、サンライズエクスプレスに継承?
サンライズエクスプレス但しサンライズの場合は、ノビノビ座席と称しており、我が国民間習俗である雑魚寝の文化を取り入れた指定席である。一人一人のスペースは寝台列車全盛時の三等寝台(後のB寝台)より広く、世界にも類を見ないユニークな存在である。このような車両が輸送力=定員を確保するために必要だったのか、或いは一定数いる区間乗車する人々の利用を見込んでなのかはしらないが、平日にも関わらず’サンライズ瀬戸’の寝台券・指定席券は即日完売し、今回の旅はここから始まる。

‘サンライズ瀬戸’は、JR4社(東日本・東海・西日本・四国)を跨いで走る唯一の定期列車です。今朝から瀬戸大橋線で強風が見込まれたため、昨夜東京発の5031Mは岡山で運転打ち切り、今夜、高松・出雲市発の上りサンライズエクスプレス(5032M・4032M)が運転取り止めになり、一部で情報が錯綜しましたが、我々の乗車した列車は定時運転されてます。

  • ※ 1998年グッドデザイン金賞を受賞した285系サンライズエクスプレス

March.31.2024

Grand Finale

春の嵐による港湾閉鎖などで、入港が調整されていたPacific World(Voyage 116、南太平洋・南米・アフリカ航路東回り地球一周) が、快晴の下、姿を見せた。この日、二度にわたり開催期間が延長されたGUNDAM FACTORY YOKOHANAも、フィナーレを迎えた。

November.22.2023

Salt Lake

ウルルとシドニーの間に、Salt Lakeという地名があるが、オーストラリア大陸には大小様々な塩湖が存在し、それは探検家Ernest Giles(アーネスト ジャイルズ)がウルルとカタジュタに到達するための障壁にもなった。1872年の第一次探検では、彼と彼の馬は乾燥した広大なLake Amadeus(アマデウス湖)に阻まれ、ウルルを見ることができなかった。

November.13.2023

amazing

日付の変わる頃Cairns空港T2 Terminalに到着して、Ride Share Pick Up Pointを探し、Uberで空港からおよそ6kmのDoubleTree by Hilton Cairnsに向かった。

日本人スタッフが迎えバルコニー付きオーシャンビューにアップグレードされた上記ホテルも悪くはないが、フライト延期に伴いBrisbaneから予約したHides Hotelは1885年に設立、Cairnsの歴史的建築物(現建物は1928年及び1968年の建築)に指定されており、1940年代にはマッカーサー将軍が頻繁に訪れたスイートルームやケアンズ最古の、扉が手動式の現役リフト、shields st(シールズ ストリート)を見下ろすコロニアル様式のベランダでのコンチネンタルブレックファースト体験など、価格は手頃でamazingだった。(このホテルはリーフクルーズオーナーのDavid Kingston氏により、インフラ整備の一環として、2017年に大規模な改修工事に着手されました。チェックイン後はコードを取得して出入り出来るため門限はありませんが、ケアンズの多くの宿がそうであるように、23時以降はレセプションがクローズします。)

オーストラリアの航空各社はコロナ以降の対応が追いつかず欠航、遅延率の高さでワーストランク入りしており、我々は恵まれていたのだろう。

※3. オーストラリアで2番目の規模のヴァージンオーストラリア航空は当初ブリスベンー羽田(7,140km)間の国際路線就航を計画していたが、コロナの影響で経営再建途上にあるため、収益性の低いナローボディ機(B737-8/航続距離6,570km)で就航可能なケアンズー羽田(5,865km)間に就航地を変更し、スロット(発着枠)を維持できるU/L(Use it or Lose it)ルールの期限とされる今年6月28日に就航したばかりであった。

これにより12日の日中はグリーン島へ、夜はナイトマーケットや1階に入居するクラシカルなP.J. O’Brien Irish Pubを訪ねた。

photo by M.U

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