January.13.2011
「モチ」は民俗学でいうハレの日(非日常、とくに神祭など祝いの日)の食べ物で、稲作農耕の食文化の一つとして伝えられ、餅を食べることで神の霊力を体内に迎え、生命力の再生と補強を願ったといいます。
プール・サイドで餅つき大会が行われ、リドガーデンで順番についたお餅が、きなこ、いそべ、からみ、あんこになって振舞われました。
田窪恭治氏の講演の後、クラブ2100において新春 舞踊ショーがありました。
日本の古典芸能である日本舞踊は歌舞伎から発展したものですが、のちに日本舞踊の流派から独立して独自の流派を立ち上げたものを新舞踊と呼びます。
いずれにせよ和装が基本の日本舞踊の衣装一式は大荷物ですから、旅の途中でこのような機会が得られること自体船旅ならではと言えます。
January.08.2011
出航に先立ち、鏡開きが行われました。
「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味し、酒樽の鏡開きは、酒樽の上蓋のことを鏡と呼んでいたことに由来します。
若いときに訪れた金刀比羅宮は、絵馬殿と高台から望む讃岐平野の眺望以外記憶にないのですが、それは琴平山再生計画(2000年~)以前の、雑然とした姿による記憶かもしれません。
琴平山再生計画とは、琴平山を対象に金刀比羅宮の文化財と自然を素材にして、土地の風土やそこに暮らす人々の暮らしに相応しい風景を創り直すことを目的としたプロジェクトで、金刀比羅宮宮司 琴陵容世氏に招聘され自らも白書院にて、椿の障壁画を制作するなど再生計画に深く携わっている美術家の田窪恭治氏本人による特別講演もクルーズの目玉でした。
January.08.2011
早起きして飛鳥Ⅱに乗船したのは、優先乗船もあり9時過ぎでした。
客室は飛鳥スイートを選択、ジャクジー付バスタブもあり、十分な広さです。
クリスタル時代はアメリカ人好みの緑色にペイントされた家具が印象に残った部屋は、木の質感を生かした居心地の良い空間に生まれ変わっておりました。
初詣が習慣化したのは明治中期とされ、電鉄会社が宣伝し始めたために、本来の恵方(えほう)ではない有名な神社仏閣にもお参りするようになったのだと言います。
一方、金毘羅参りが盛んになったのはこれより古く江戸中期と言われ、この頃全国の庶民の間に広まりました。
クルーズでは徳島の小松島港に入港し、高速道路を使い金毘羅さんにお参りします。
飛鳥は毎年阿波踊りの時期に小松島を訪れており、また金毘羅さんの絵馬殿に絵馬を奉納するなどの結びつきがあります。
絵馬は、生きた駿馬を神に奉納したのが始まりで、後に、絵に描いた馬を奉げるようになりますが、金刀比羅宮に遺存する絵馬は独特で、航海安全祈願あるいは海難救助のお礼に奉納された船絵馬が数多く存在します。