June.10.2012

Sun Princess来航に向けて

Port Evergladesアクロバットを取り入れた幻想的なプロダクションショー”Mystique”(ミスティク)と共にSun Princessがデビューしたのは1995年12月2日のことであった。
クルーズの新しい時代を予感して日本を発ち、処女航海前夜Fort Lauderdale入りして眩いばかりの美しい姿を目にした私は、翌日タクシーを遠回りさせ、対岸のヨットハーバーにて出航前の彼女を撮影してから乗船した。
Sun Princessのキャッチコピーはdream come true、次世代を見据えた数々のアイデアが盛り込まれていた。
例えば海側の70%を占めるバルコニー付きの標準客室、造船技術の進歩した今日でこそ客船のバルコニーは広く普及しているが、当時は一部の船の上位クラスに存在するのみであった。このバルコニーは現在多くの客船に見られる客室間が1枚のボードのみで仕切られたものではなく、開口部から余程身を乗り出さない限り隣室とのプライバシーが保たれるエレガントなものである。
’90年代に入り急速に大型化の一途をたどる当時のクルーズ船では、どこへ行っても長い行列が出来ているという悩みを抱えていた。
Sun Princessは設計段階から徹底した動線の研究を行い、眺めの良いリドデッキ前方のホライゾンコートは24時間オープンして観葉植物が目を楽しませ(当時)、ブッフェは両舷どちらから入場しても同じものを、通路を邪魔することなく料理をチョイスできるようブッフェ台は内側に設けた。プロムナードデッキには収容規模の同じシアターを両端に配置、一方でミュージカルを、他方でコメディーショーを演じ、時間と場所を指定したチケットを配って入れ替えた。ダークウッドのパネルとエッチングガラスを用いた、温かみのあるメインダイニングルームはゆったりしており、エメラルドデッキとプラザデッキにほぼ同じデザインのものが設けられ、キャビン番号で振り分けた最初の船である。(乗船後にメートル・ディを通して変更は可能)
英国P&Oの色濃かったPrincess Cruiseは材質にもこだわり、シトマークルーズから引き継いだドルフィン型の2隻とは対照的に木や真鍮、イタリア製タイルなどの天然素材をふんだんに用い、アメリカ人好みの華やかさとイギリス人好みの落ち着いた雰囲気を融合させた。
全周プロムナードを備え、チーク材が敷き詰められ、スパに続くAftのプールに天蓋を設けた。
また77000トンは当時の技術ではパナマ運河を通行できる最大サイズにした結果であり、これ以上大きい船を造れば、大西洋と太平洋を行き来するのに、南米大陸の端をまわらなければならなかった。
この船の処女航海には三十数名の日本人が乗ったであろうか、当時はまだ一般人がネットで日本からクルーズを申し込めるような時代ではなかったし、欧米クルーズ各社も外国人を乗せることに疑念を抱いていた。処女航海には米国で人気を博したTVドラマ、ラブボートのキャプテンMerrill Stubing Jr(メリル・スチュービング Jr)役であるGavin MacLeod(ギャビン・マックロード)氏も乗船していたから、米国本社を説得し多くの日本人乗船を果たしたクルーズ・バケーションの先見と熱意がカーニバル・ジャパンの創設に繋がったと推測する。
なお初代船長はAugusto Lagomarsini氏で、彼はオードリーヘップバーンが名付け親である初代Star Princessのキャプテンとして世界的に有名で、白い顎鬚を蓄えた彼が乗船するからクルーズを申し込むリピーターもいるくらい、Princess Cruiseの顔として人気があった。
 
“ある掲示板”の記事から

May.29.2012

ドレスコード考/ フォーマル

海外、とりわけ欧州のほうでは、特別なPartyやceremonyの場面では年齢、性別を問わずformal wearできっちりと決めますが、一般的なクルーズはこれに当たらず、ゆえに日本に寄港した外国籍のクルーズ船に日本人が乗船したとき、何の理由もないのに夕方以降の服装が一様にTuxedoであったりすると奇異に映るわけです。
かってQueen Elizabeth2のGril Classでの大西洋横断は毎晩が華やかでしたが、必ず航海ごとにテーマが設けられておりましたので、クルーズに参加することは特別な時を過ごす意味が込められていたと考えられます。
例えば、1998年の大西洋横断のテーマには、ロイヤル・オーク・ファンデーション(英国の遺産)、ミュージカル・シアター、大西洋航路船(船の歴史社会)、フードとワイン、英国演劇などがありました。
現在でもラクシュアリーなクラスの客船が催すクルーズにはテーマのあることが多く、ひとつのフォーマル率の目安になります。
さて、去る25日に外航客船にっぽん丸の下期クルーズの発売が始まりましたが、その中で来年の1月、初の試みとして船上オペラが上演されることになりました。
ドレスコードは文句なしのフォーマルです。
このクルーズは連休を利用した2泊3日の無寄港でA Style Cruiseとかぶりますが、鑑賞の前後にドレスアップであくせくすることのないよう帰港時刻(14時予定)にも配慮がうかがえます。
ドルフィンホール2階には鮮やかなボックス席風シートがあり、S席(Suite)をreserveしてバトラーのエスコートのもと、優雅なひとときを過ごすのもよいでしょう。

March.12.2012

綴章

2011年夏~2月8日を迎えるまで

Foyer今年(2011年)はノルウェーの探検家、アムンゼンが南極点に到達してから百年になります。
観光を目的とした南極とその地域の訪問者は2007/2008シーズンにおける約46,000人をピークに今シーズンは33,824人でしたが(International Association of Antarctica Tour Operators発表)、これは南極と環境への脅威に対する人間の影響が指摘されており、規制が強化されコスト上昇が避けられないことと、相反し経済が冷え込んでいるためであると考えられます。
2007年11月23日、アルゼンチン南方の南極海で発生したM/V Explorer(2,398t)の事故は南極海やその沿岸地域に環境破壊をもたらし、2009年に採択された南極条約の改正では、定員500名を超える観光船および重質重油と中質重油(heavy and intermediate fuel oils)を使用若しくは積載する船の航行を禁止するに至りました。
MARPOL条約(船舶の航行や事故による海洋汚染を防止することを目的とした国際条約)に於いても南極地域を航行する船舶の重質油使用および運搬を規制、同時に米国沿岸における窒素酸化物および硫黄酸化物の放出規制もこの8月1日より発効し、Star Princess(109,000 GT)などの大型クルーズ客船による南極海域(南緯60°以南の海域)の航行は難しくなりました。
 
Compagnie des Iles du Ponantは1988年に設立されたフランスのクルーズ会社で、現在は世界第3位のコンテナ運送企業CMA CGMのグループ企業のひとつです。
2010年に就航のLe Boreal、そして今年就航のL’Australの2隻のラクシュアリーな客船は、極地航行できる丈夫な船体にバリアフリー構造を取り入れた画期的な新造船です。
Prestige Stateroom全長約142m、総トン数10,700tの船体はデッキ数を押さえ、全客室の9割以上にプライベートバルコニーを備えております。
現在入手可能な最も環境に優しい技術が装備され、フラットなプラットホームや上陸用ゾディアックボートを設備、ヨーロッパの人の好むStylish、LuxuriousなYacht styleの客船はEuropean Cruiser Association (EUCRAS)においてBest New ship of the Year 2010(Le Boreal)に選ばれました。
 
南極は私たちの住んでいる北半球からは赤道を越えた対極に位置し、南極上陸を掲げるクルーズの多くは南極半島をDestinationとし、日本から見て地球の裏側に当たるSouth AmericaのUshuaia(ウシュアイア)を拠点としています。
BOCAATL(アトランタ)など米国の都市を経由してのNRT-EZE(=Buenos Aires Ezeiza International Airport)のフライトは、乗り継ぎ時間を含め所要28時間くらい(直線距離約18,300km)、ESTAの取得が必要になります。欧州周りの場合はCDG(パリ)経由で32時間くらい(復路は27時間)です。
日本からの旅行者はBuenos Airesで1泊し、世界最南端の街、Ushuaiaへは翌日さらに3時間半(約3,200km)フライトします。
つまり日付変更線の通過も含め、往路2泊、復路3泊がクルーズ日程にプラスされます。
 
観光を目的とした南極旅行は、今から45年前に米国のリンドブラット旅行社が世界中から52名の旅行者を募り、アルゼンチン海軍の軍艦をチャーターしたことに始まります。
Restaurant La Licorne南極に美食の船がなかったことも、small ship市場に特化したPonant cruiseにとって北米の二大グループ企業と競合しないまたとないビジネスチャンスだったに違いありません。
CMA CGMは2008年以降の世界経済危機で、運賃相場の低下・燃料の高騰・すでに発注したコンテナ船の支払いなどにより多額の債務を抱えているようで、このあたりの状況はかって昭和海運が経営の多角化の一環としてクルーズ船事業に進出し、他社とは競合しない方針のもと、おせあにっくぐれいすを建造した時に似ています。
 
我が国のクルーズ事情として平均年齢が高く、ドレーク海峡の通過やクルーズで訪れる地域とは異なる誤った情報に不安を抱かれた方もいらっしゃるようです。
南極大陸は地球上で最も寒い場所ですが、緯度と標高と海からの距離によって気温は異なり、緯度が低く、周囲を海に囲まれている南極半島は、南極の中で一番気候が穏やかであるといいます。
 
末筆ながら
本稿を塾筆するにあたり、少人数にて催行を決定してくださったS取締役、CコーディネーターのKさん、寝る間を惜しみ資料作成に励み、母を気遣ってくださったTコンダクターのOさん、A旅行社のMさん他、支援してくださった方々に、心よりお礼申し上げます。 続きを読む

March.08.2012

2月15日(水) Deception Island, Aitcho

Antarctic Fur SealSouth Shetland islands(サウス・シェトランド諸島)は南極半島の北約100km沖を半島と並行に広がる。
クルーズが終わってみると観察や写真撮影のチャンスをかなり逃していることに少し後悔もある。
何故ならぎりぎりまで島に残り最終のZodiacで本船に戻るというようなことはせず、適当に船に戻り、Main Loungeに用意された温かいSoupを飲み、RestaurantでRib eye steakをほおばっていたからだ。
母は上陸出来たことに意義があり、私もまたクルーズを楽しんだ。
Gentoo PenguinChinstrap Penguin6Deck のRestaurant”La Boussole”でのLunch Buffetはそれ自体素晴らしいものであったが、とくにDeception島では出港と重なり、後方に広がるOpen deckを持つこのRestaurantでの食事は心に残るものであった。
日本に戻って食べたステーキは脂肪が多過ぎ、アルゼンチン産の肉汁たっぷりのステーキが懐かしい。
South Elephant SealsRobert Is.(ロバート島)とGreenwich Is.(グリニッジ島)の間のAitcho Islands/Barrientos Island(アイチョウ諸島)の小さな島に私たちはChinstrap Penguins(アゴヒゲペンギン)が見れるということで上陸したが、Gentoo(ジェンツーペンギン)のルッカリーもあり、どこよりも多くのペンギンを見ることができた。
島はZodiacの着岸する東部北側と、緩やかな斜面の南のCreche(クレイシ)では泳ぎの練習をする若い個体が見られ、またWestern endではSouthern Elephant Seals(ミナミゾウアザラシ)が体を休めていた。
Creche(クレイシ)とは集団繁殖をする鳥類の中でペンギンなどにみられる集団保育の場所である。

March.06.2012

2月14日(火) Peterman Island, Paradise Bay

Bone of the Gentoo Penguin南極旅行を終え2週間が経過しようとしているが、未だにレポートをまとめることができない。
何故ならクルーズ中は考える余裕もなく次々と目に飛び込むものに夢中であったが、そこに秘められた南極からのメッセージは奥深く、我々もまた商業クルーズに参加したからには、そのメッセージを少しでも伝える義務がある。
それが例えオゾンホールによる強い紫外線と乾燥した空気により荒れた肌をフランスの人気ブランドCaritaの船上Spa※2)でtreatmentを受け蘇らせたというような些細な事であっても、見逃してはならない。
Adelie penguin再びLemaire Chennelを通り、Peterman Island(ピーターマン島)に上陸する。
Nature Guideと共に探索の機会が設けられ、漠然とIce fieldと思っていた南極にも苔の類や雪藻(スノーアルジー)と呼ばれる微生物が存在することを知る。氷を彩る雪氷藻類は夏に氷が解ける融雪期に現われ、ここにも地球環境の変化が感じられる。気温の上昇が降雪を招きコロニーを壊滅させ海氷の後退が漁場を喪失させたというBill Fraser氏の研究論文を肯定するように、ジェンツー以外のペンギンを見たいという声が漏れる。Gentoo Penguin(ジェンツーペンギン)はアデリーペンギン属の中で最も北に分布、ピーターマン島は最南端の営巣地である。
本クルーズもPeterman Islandの付近がもっとも南緯に位置していたことから、後日それを記念するCaptainのSign入り証明書が発行された。
Imperial Shag玄武岩質のdyke(地層を垂直かそれに近い高角で貫く板状の岩体のこと)にアデリーペンギンのコロニーを発見、Nature Guideはその隣で一見ペンギンと見間違うキバナウの巣に注目した。親が嘴(くちばし)にくわえた餌を持ち帰り、雛に与える瞬間が見れるかもしれないからだ。
明日はSouth Shetland islands(サウス・シェトランド諸島)を巡り南極収束線に向かうため、南極半島への上陸は今日が最後になる。
Valentine’s dayにふさわしく、南極半島に於いて最も美しいといわれるParadise Bay(パラダイスベイ)に着いたのは夕刻を回り、母と下船したのは19時頃であった。 m.s. Le BoréalParadise Bay12日の下船を見送った母もこれで念願の南極大陸への上陸を果たし、Le Borealの全ての乗客が南極大陸に足跡を記したことになる。
誰が望んだか雪が散らつき始め、本船に戻るZodiacではChampagneが振る舞われた。
カメラの演出のためであることは疑う余地もないが、なかなか気が利いているではないか。
 
※2)Spaは予約制であるが、上陸の合間を利用し予約した。
料金はボディtreatmentとフェイシャルの1時間コースで90EURO、リーズナブルである。
チップは15%程度を現金で渡すのがフランスの習慣であるらしい。
サウナを含むプログラムを選択した場合は、営業時間内の予め予約された時間までにサウナ(無料)を利用し、次のステップ(treatment)に移る。 続きを読む

March.03.2012

2月13日(月) Port Charcot, Port Lockroy

Lemaire ChannelLemaire Chennel(ルメール海峡)は西南極半島とBooth Island(ブース島)の間の全長約7マイル(11.2km)、幅が5,250フィート(約1,600m)の非常に狭い水路である。風光明媚であるが断崖を崩れ落ちた氷河などが海峡に流れ込み、最も狭い地点では幅が700mともそれ以下とも伝えられ、氷の状態によっては通行不能となる難所である。
Port CharcotやPeterman Islandを目指す船はこのLemaire Chennelを通行(平均7knot)するために、スケジュールはしばしば変更される。
Port Charcot(ポートシャルコー)は西南極半島に沿って、Lemaire Chennelの西側を構成するBooth Island(ブース島)の西側にある小さな入り江である。
島はGentoo Penguin(ジェンツーペンギン)の営巣地であるが、他の島から迷い込んだAdelie penguin(アデリーペンギン)も確認できた。入り江には大小様々な氷山が流れ着くことからこれらをウォッチングするZodiac Cruiseは欠かせない。
Whale bonePort Lockroy午後はPort Lockroy(ポートロックロイ)に寄港、1962年までイギリスの基地として使われていた建物は南極条約に基づく記念物に指定され、今はイギリスの南極歴史遺産トラストが博物館や郵便局として運営して収益を史跡の改修に充てている。唯一南極を訪れたことを示すスタンプを押した郵便物が出せることからUshuaia(ウシュアイア)出港後間もない頃より寄港日時が予告されていた。(この届出と天候に恵まれたことが、のちにLemaire海峡を2往復することに繋がった。)
Weddell SealsPort Lockroy(Goudier島)の上陸は一度に65人以下、45分間という制限があることから、Zodiac Cruiseではペンギンのコロニーやナガスクジラの骨(Wiencke島)なども見学した。一際目を引く鯨の骨格は、冬に吹き飛ばされ離れてしまったものを毎年夏に再構築しているらしい。Expedition teamは氷山の下にアザラシの群れを発見したようだ。

February.27.2012

2月12日(日) Cuverville, Neko

南極に入り2日目(クルーズ5日目)の朝、5Deck右舷に位置する私の部屋からは、雪で連なる柔らかい表情の山々が、太陽の光をもらい薄いpink色に染まっていく光景が目撃された。
出航して初めての良い天候に恵まれた朝を迎え、私は母にも声をかけた。
だが母の眼は急激な痛みに襲われ、急性結膜炎と診断された。
幸い薬を塗り1日安静にすれば完治すると言われ、今日予定される上陸は私のみ参加することとなった。
時間がないので6Deck Buffetで食べるはずであった朝食をRoom service※1)に変更、1人前のClubhouse sandwichとCoffeeを届けてもらった。
このクルーズのShip’s Physician(船医)を務めるDaniel Roure氏は60代前半の色艶良い大柄な人物であるが、患者に優しく、彼はまたJazz pianistとしても世界が認める腕を持っていた。
残念ながら€20の彼のCDは母の治療費もある(後日保険請求)ので見送ったが、彼のサインの入った診断書はコピーを手元に残し記念に代えさせていただいた。(笑)
Cuverville Island最初の上陸地に選ばれたCuverville Island(クーバービル島)にはGentoo Penguin(ジェンツーペンギン)のrookery(ルッカリー=集団で子育てする場所)があり、それを狙うSkua(ナンキョクオオトウゾクカモメ)やAnterctic Fur Seals(ナンキョクオットセイ)の姿も確認した。
最大約2時間の滞在が許可されたことから体力に自信のある者は標高250mほどの雪山にも登った。
頂上から見るCuverville Islandはとてもちっちゃな島であったが、Zodiacの発着する海辺しか知らなければ狭い海峡を隔てた借景による効果で全く異なる印象の島であった。
Zodiac boat午後はNeko Harbour(Andvord Bay)へ、日本語に置き換えてしまうと猫を連想するが、Neko号というノルウェーの工船(捕鯨母船)に因む。(爆)
南極大陸の一端をなす南極半島にあることから、南極大陸へ確かに足跡を印したことになり、人気のスポットとなっている。
大陸の氷河は小さなものでも島々の氷河とは比較にならず、陸上では氷河崩壊の音が鳴り響く。一方、Bridgeからはこんな光景が。
氷山と力比べするZodiac boatの姿がユーモラスです。
 
※1)Room serviceは24時間対応している。
order sheet(breakfastのみ)によらぬorderはa la carteでの注文となる。
tipsに2ユーロのcoinを幾らか持参した。 guy92’s point

February.26.2012

2月11日(土) Wilhelmina Bay

Killer whaleDrake Passageを抜けた翌日は霙雑じりの雪で視界が悪く、Mikkelsen Harbor(ミケルソンハーバー)/Trinity Is.への上陸は早々中止決定され、且つZodiac Cruiseに予定された地域の天候回復も見込めないためCaptain E GALCIAとExpedition LeaderのNicolasら(以下TEAMと略)は一気に船を南下させる作戦に出た。
Two Hummock Island付近でシャチと遭遇、じつはExpeditionのSpecialist達にとってDestinationの調整を図るのは容易なことではないということを後に知った。
何故なら南極半島とその周辺の島々に於いて上陸可能な場所は限られる上、ポイントが異なれば同じ種類の鳥や哺乳類に遭遇できるとは限らないからだ。
例えばアデリー属のペンギンの中には営巣地が限られるものもあり、バランスよく多くの生物を見てもらおうと考える前述のSpecialist達は南極条約の制約のもとで調整を図り、(例えば、ひとつの島に1日に上陸できる隻数は規制されている。)ポイントに近づくとZodiacを先行させ海の中を確認したり上陸場所の安全整備を行ない旗を立てるのである。
Test runではDrake Passageで遭遇した低気圧による余波とおもわれるうねりにより、船尾Boat MarinaでのZodiac(ゾディアック)発着に良い結果が得られなかったので、Gerlache Strait(ゲルラーシュ海峡)で隔てられ、奥まったWilhelmina Bay(ウェルヘルミナ湾)に改め、午後からのZodiac Cruiseを実施することになった次第である。
最近はDrake Passageを避け飛行機でサウス・シェトランド諸島入りするツアーがあるようだが、2日間の航海は大切な準備期間で、昔、海洋工学の研究をされているI教授が飛鳥の世界一周でデータを取っておられたが、この程度の揺れは一度体験しておけば、以後免疫ができ、肝心なところで失敗しなくて済む。というのはこの先氷海ではフィンスタビライダーは使えない。もっともCaptain E GALCIAは南極航海歴7年のベテランであり、低気圧をかわしtable wineの注がれたグラスを落とすことなくここまで上手く通り抜けてきた。
TernWilhelmina Bayにはノルウェー人がこの地で捕鯨し採取した鯨油を輸送していた時代の遺産である沈没船が残され、Tern(アジサシ)が巣をつくり周辺ではImperial Shag(キバナウ)などの鳥類が時折り目を楽しませた。
この日の天候は霙のような雨のような(Zodiac上なので雪より始末に悪い)、南極地域の温暖化を早くも肌で感じた。
Wilhelmina BayをZodiac Cruiseの場所に選んだ真の目的は、明日からの上陸をスムーズに行うための訓練が必要であったからであろう。
探検隊には私の母を含む日本からの車椅子利用者が2名加わったが、対応はじつに友好的であった。
具体的にはCruise DirectorのBeatrice Von Engelmann(ベアトリス・フォン・エンゲルマン)は母がStairsを利用するのが困難とわかると通常はCloseの2Deck Dining Roomの通行を許可し、自力でZodiacに乗船することが困難なもう一人には別のZodiacを仕立て、数名のStaffが付き添った。
通常ここまでのサービスはあり得ず、いかに良いmemberに恵まれていたかを裏付けるものである。
 
memo

February.25.2012

序章

南極について私たちはどれだけのことを知っているのだろうか。
勿論、地質学者や生物学研究者などはそれぞれの専門分野に於いてたくさんの知識を蓄えているに違いない。
なのに何故か南極の歩き方などというガイドブックは私の手元には存在しない。
仕方なく出発まで約半年間、CruiseのDestinationについてインターネットの力を借り自分なりに学習した、いや、そのつもりであった。
しかしクルーズ3日目にしてDrake Passageを抜けたところから、日本から持参の地図や知識は全くと言っていいほど役に立たないものであることがわかった。
何故なら、南極は生きたDestinationであり、expeditionはその時々の浮氷や気象の状態を見極め、多様な生物を求め舵を取り、時には地図で見つけられないほど小さな島への上陸を試み、自然が許す限り南緯限界を目指すからだ。
私はうかつにもいつの間にか定期船のようなCruise linerによるCruiseのみをクルーズであると捉え、本来のクルーズの楽しさを忘れかけていた。
Antarctic Fur Seals通常だったらPilotを必要とする狭いPassageの通過も南極に於いては船長1人の肩にかかっている。ここでは電子海図は役に立たず、昔ながらの紙の海図と船長の経験が物を言う。あまりに船長の負担が大き過ぎるということから、副船長は必ず2人乗船する決まりがある。(Officers listでは1名はIce pilotと記載)
クルーズは経験豊かなCaptain E GARCIAと優秀なExpedition Leader Nicolas(共にFrench)のもと、すべての探検家(Passenger)が協力し合わなければ成し得ない、これぞAntarctic expedition Cruiseの醍醐味である。

February.24.2011

ドレスコード考/ カジュアル

都内のある高級ホテルの17時半をまわったクラブ・ラウンジ、六本木という場所柄、シャンパンやワインとともにイブニング・オードブルを楽しむ客層の中心は30~40代とやや若い。
外国人も多いこのホテルでオフタイムの男性客の9割以上がジーンズを穿いていました。
ジーンズをファッションの一部として育った世代には、公共の場にジーンズを着用することに抵抗感はなく、むしろリラックスするためのファッション=カジュアルととらえると、国境を越え興味深いことでした。
このようなことを書くとジーンズは作業着であると反論する人がいますが、それはルーツでしかありません。
むしろコットンの肌触りの良さは他のTrousersになく、そのイメージする生地の重さはバブル世代や団塊世代では14oz以上の肉厚なコシのあるものであるのに対し、ゆとり世代では10~12oz前後の履き心地のソフトなものが見た目も美しく好まれています。
我が国のクルーズ客船の多くはキュナードのグリルクラスの如く厳しいドレスコードを採用し、そのような閉塞的な世界しか知らない乗客が海外に出ると、外国人の服装まであれこれ批判したりします。(爆)
じつは大西洋の定期船運航を続けるキュナードは航海日は原則フォーマル、対する日本のクルーズ客船は世界一周でもフォーマルナイトは数回です。
このことはドレスコードが時代と共に変わるものであることを意味します。
幅広い年齢層の支持を受け活気ある海外のクルーズ会社の多くは、カジュアルの日のドレスコードについて最低限のマナーをアドバイスしているに過ぎません。(最近、欧米船社がアジアに進出し、一部でマナーの違いが問題になっているようですが。)
最近のカジュアルなトップスやアウターは、ジーンズとのコーディネートを意識して作られたものも少なくありません。
非日常的なクルーズはそれなりに魅力ありますが、我が国のドレスコードは本来乗客に任せられるべき自由を制限し、頭の固い保守派層により守られてきた(守ることを目的としている)と言っても過言ではないでしょう。
もう少し彩りを添えてよいのではないでしょうか。

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