April.01.2010

蘇る南薩鉄道の記憶/4

「南薩線」の詩を書き、レコードを自費製作された安藤さんは、
 
『赤い夕日に染まって砂丘や松林を走るマッチ箱列車と黄色い灯が揺れる車両の人々や風景が好きだった。』
 
といいます。(1984年3月10日付、南日本新聞の記事から)
今回はそんな久多島神社と東シナ海を望む風景です。

March.31.2010

蘇る南薩鉄道の記憶/3

過日、国土地理院のHPから1枚の空中写真(画像データ)を検索して購入の手続きをしました。
 
写真は吉利の麓から国道270号線とクロスする辺りです。
かってオーバークロスしていた道路は形を変え、あたかも平面交差していたかのような錯覚に陥ります。

March.28.2010

蘇る南薩鉄道の記憶/2

前回の写真の説明から
1枚目:JAL機とNewにっぽん丸の組み合わせ。
Newにっぽん丸は当日10時に晴海出航でしたので、偶然ではなく、ANA LOUNGEにてチャンスを待っていました。
2枚目:城山を背に、旧日置駅からカーブを描き吉利へ向かう南薩線の堤。
煉瓦煙突のあるところは瓦工場です。戦後の最盛期には50あまりの工場が稼働し、町の労働人口の2割が瓦関係の仕事に従事していたといいます。この窯でも、1999年(平成11年)までこの地方特産の良質の粘土を用いた日置瓦(いぶし焼き粘土瓦)を焼いていました。

March.25.2010

蘇る南薩鉄道の記憶

昨年で廃線から25年を迎えた南薩線をテーマとした企画展が薩摩半島の西に突き出た野間半島にある笠沙(旧鹿児島県川辺郡笠沙町)フィールドミュージアムで催され、話題を呼んでいます。(1月10日~5月31日まで延長)
企画した笠沙恵比寿は今から10年前、笠沙の魅力を広めようと町の若者を中心として生まれた、笠沙の文化・風土を楽しむことのできる施設です。
 
じつは連休初めの21日はNewにっぽん丸が横浜に於いてお披露目される日でした。
dolphinsクラブ(にっぽん丸のリピーター組織)からお誘いがあったものの、4日前になって届いた招待状の内容は信じ難く(高齢者に配慮なく見学過程で下りエレベーターの利用を停止)、足の悪い母のため交渉するも臨機応変な処置が得られず参加そのものを辞退し、鹿児島へ飛びました。
 
きっかけは南薩線が廃止される前年、地元出身の青年(当時)がこの列車で通学された思い出を作詞という形でレコードに残した「南薩線」の歌が、再製(DVD化)されることを知り、制作に携わった笠沙恵比寿・学芸員の方に頒けていただいたことでした。
(補足:学芸員とは、日本の博物館法で定められた国家資格を有する専門的職員です。)
 
もう30年あまり昔のことです。
僕の乗ったオレンジ色の流線形をしたディーゼルカーは、伊集院駅を出ると左にカーブを切り、国鉄線(当時)と別れるとすぐに暗い森の中に吸い込まれ、長いトンネルを喘ぎながら抜け、どこに出口があるのかわからぬ雑草に覆われた駅(上日置)に停車しました。
ひとつのローカル線はそれ自体が不思議な存在でしたが、それを取り巻く風景も印象深いものでした。
(今風に例えれば、スタジオジブリの世界です。)
この駅の構造は鉄道がなくなるまで大きな謎でした。
廃線の秋、YHで借りた自転車で小高い丘の上の同駅を訪れ、唖然としました。
ポッカリ空が顔を覗かせ、瓦の降ってくる危険な本屋(駅舎)を避け、人々は石を積み上げた給水塔と建物の隙間から出入りしていたのです。
付近には家が2軒くらいありましたでしょうか、それでもこの鉄道を必要とする人がいました。
僕の乗り降りした日置の駅は、町の中心から少し離れた、八幡神社の参道と交差する踏切から少し引っ込んだところにありました。
開業した頃は蒸気機関車が走り、火の粉による火災や汽笛の音に馬が暴れだすことなどを恐れたのでしょう。
この地にYHを開いたとうさん(YHのペアレント)は、国道(270号)に土地を提供するなら、南薩線を自分のところに引いておけばよかったと言っておりました。
YHの開設当初は、浸透せず薩摩湖のモーテルと間違われもしたようです。(爆)
多いときは、定員12名に対し、一晩に30人以上集まったのではないでしょうか。
じつはペアレントさんはウミガメ観察のために海の家を建て、ここだけはYHとして登録しなかったのでそちらに無料で宿泊させていたのです。
規則正しく走る南薩線は、YHの理念とも通じるところがありました。
一日の時間割は、列車の時刻で決められ、列車の時刻は、人々の生活によって決まっていました。
出迎えも見送りも、日置駅のホームに立ちみんなでやりました。
終点枕崎で指宿枕崎線に乗り継ぎ、半島を一周する車窓には、錦江湾に入港する日本高速フェリーのさんふらわあの姿もありました。
 
あれから四半世紀、モータリゼーションは人々の行動を拡げ、皆で揃って食卓を囲むことさえ、難しくなってしまいました。
駅への道しるべであった石敢当はどこに行ってしまったのでしょうか?

November.10.2005

毎晩が肝試し?

日置-吉利間八幡神社の参道と交差する踏切があった地点から吉利側に向けたショットです。本当に”何もない景色”になっちゃいました(笑)
なんてつバス日置寺下または郵便局前から海側の坂を上がったところの旧国道沿いに日吉町の中心部があります。
と言っても代表的な建物は公民館と町立病院、そしていくらかの商店があるに過ぎず、日が沈むと道と畑の区別もつかないほど灯りも人影もなくなります。
モルタル塗りの平屋建てわずか9棟の日置団地を通り抜け、あみだくじのような農道を月明かりを頼りに進むと、国道270号線です。
この国道沿いに吹上浜YHがあります。20数年前、知覧整備に使われた1軒あたりの費用の約3分の1にあたる自己資金(100万円ほどかかったと聞く)を投じ再現した武家屋敷の門が印象的なYHですが、国道がカーブした地点にあるため、見逃してしまう人が多いようです。
このYHの前の国道を横断し、5分ぐらいで吹上浜砂丘に到達します。
夏は海亀が産卵に来ることで知られています。
本年5月1日に東市来町、伊集院町、日吉町、吹上町が合併して日置市が誕生し、11月7日には金峰町、加世田市、笠沙町、大浦町、坊津町が合併して南さつま市が誕生しました。

November.07.2005

歴史遺産

車両旋盤1907年、イギリス製の車両旋盤。
南薩鉄道加世田工場において使われてきたもので、現存する貴重な歴史工作物として財団法人日本機械学会より機械記念物の設定を受けています。説明書きもなく屋外に置かれているのはもったいないことです。
加世田にて

November.06.2005

八幡神社の通り

八幡神社八幡神社の参道と交差して踏切がありました。
この景色を見ているといまでも遠く、タイフォンが聞こえディーゼルカーがやってくる気がします。

103号

キハ103鉄道廃止から10年後の7月、姿を変えた加世田駅の跡地に南薩鉄道記念館がオープンしました。
そしてキハ103号は食堂車に改装され、ぽっぽ亭という名称が与えられました。
しかし、それも長く続きませんでした。

訪れたとき、ぽっぽ亭は南さつま市々長候補の選挙事務所として使われ、
ぜんざいはありませんでした。(汗)

最新情報はこちらから確認できます。
http://6919.teacup.com/nantetsu/bbs

結構レトロです

枕崎駅/線路側枕崎駅の本屋を裏側(ホーム側)から見たところです。
昔は中央の開口部に改札ラッチがありました。
駅舎内には枕崎市の観光案内所を兼ねて今も売店が残り、JR線や鹿児島交通のバス待ちの人に利用されています。

なんさつ便り

南薩線を知っていますか?
 
かって薩南地方には大正~昭和の時代、文明開化の灯を運び、度重なる台風、災害そして戦争を経験しながらも、人々の生活を支え、希望とやすらぎを乗せて走り続けた地方鉄道がありました。
 
鉄道の中心的存在であり、本社のあった加世田の南薩鉄道記念館に、薩摩大崎駅開業(大正5年)頃の様子を伝える沿線案内絵巻が保管されています。
 
絵巻には、川内線の伊集院を起点として矢岳峠を越え、加世田に向かう線路がリアルな地形の中に描かれています。
鉄道敷設は、当時の土木水準からはかなりの難工事であったと伝えられています。
沿線の寺社が丁寧に描かれているのは、旅客誘致を意識してのことでしょうか。
そのうちのひとつ日置八幡は、日置五十二社の総鎮守社です。
 
伊集院-上日置間廃線後の鉄道用地は、将来の社会情勢による復活の望みを持って保全対象とされてきました。しかし最近10年では、土地の売却などが行われ、その遺構は急速に整理されつつあります。
 
川内線(鹿児島本線)に別れを告げ、神之川を越えて城山を迂回し、美山へ向かう薩摩街道と交差(立体交差)するあたりまで緩やかな上り勾配が続きます。線路敷きの枕木が撤去され、作業道として草刈もされております。(写真)
大田隧道に向かって勾配は徐々にきつくなり、小さな集落を眼下に見ます。朽ちた枕木が顔を覗かせ、焚き火の跡があります。
ここから先は以前の調査では土砂流失が確認され、最近人の立ち入った様子もありません。隧道はあきらめ一旦引き返します。
県道伊集院日吉線を迂回路とし、上日置駅手前で再び山に入ります。地名の由来である毘沙門天のとこまで行く事ができます。
 
最近、沿線の高齢化が進み、空き家が目立ってきました。一方、新しい生活を送る人達が土地を求め、新たな住宅開発も行われ、町は次第にその姿を変えつつあります。
 
枕崎駅本屋4月1日から鹿児島県内のバス、路面電車でICカード乗車券が使用開始されました。鹿児島交通では50,000円までチャージ可能な「いわさきICカード」を発行しています。
 
枕崎駅本屋昭和24年2月11日竣工。