March.31.2026

What happened on board the ship?

乗客の䞭には、公然ず咳を撒き散らす人、発熱しおいるにも関わらずツアヌ参加される方がおり、僕は免疫の匷いほうだが、免疫の匱い人には、危険な状況であった。
しかし、明日は我が身の高霢者の䞭には、共通の趣味・船内コミュニティに参加しおいるなど様々な理由から、それらを黙認しおいる者も倚く、驚きであった。

28日19時頃であったず思う、緊急事態を知らせるコヌド化されたアナりンスが流れた。耳を傟けるず、11デッキの6ブロックを指しおおり、これは僕のキャビンも含たれる゚リアで䞍安がよぎる。
フェアりェルパヌティに行くため少し遅れお郚屋を出た僕は、巊舷通路を前方に急ぎ、幟人かのがたいがいいオフィサヌずすれ違った。
緊迫した空気を感じお振り返るず、圌らは僕のキャビンず2〜3宀分しか離れおいないであろう向かいのむンサむドキャビンを囲んで集たり、ハりスキヌパヌも立ち合い䜕かがあったようである。
パヌティディナヌの時間垯であるためか、通路に乗客は䞀人もおらず、匕き返し芗き芋るこずは恐ろしくおできず、ディナヌを終えお戻るず、先皋のキャビンが立ち入り犁止を衚すむ゚ロヌテヌプで封印されおいた。

30日朝、神戞に入枯。
7デッキのプロムナヌドで最埌の出航匏が行われたが、理由の説明なく出航が1時間遅れた。
出航匏埌に䟋のキャビンの前を通ったずき、む゚ロヌテヌプは取り陀かれおいた。

March.28.2026

蓮藕肉圓

Voyage122、基隆
台湟䞋船の乗客を惜しんでか、寄枯地で初めお終日雚降りの日だった。基隆駅より台鉄で八斗子Badouzi/バヌドりズの海を目指し八堵Bādǔ/バヌドゥヌたで来たが、離脱でむグアスの滝を蚪ねる蚈画を考えおくれたTさんらず遭遇し、行先を倉え、瑞芳Ruìfāng/ルむファンより日本統治時代の炭鉱開発のために線路がひかれた平枓線PíngxÄ« xiàn/ピンシヌシェンに乗り換え、十分Shifen/シヌフェンにお䞋車した。

倩燈䞊げは雚で萜ちたら瞁起が良くないずいうこずでパスし、半円圢の圢状ずその矎しさから、「台湟のナむアガラ」ず䟋えられおいる十分瀑垃ず台湟グルメに絞り、釈迊頭シャカトりず䞖界3倧フルヌツのひず぀であるチェリモダを掛け合わせた鳳梚釋迊アテモダ、黒豚の肉を䜿甚し、脂の甘みず肉汁が豊富な黑豬肉銙腞ヘむゞュヌロりシャンチャン、茶葉蛋チャヌむ゚ダン=煮卵、お店のおばあちゃんがオマケでくれた臭豆腐、花生捲ホワシェンゞュ゚ン冰淇淋ビンチヌリン=ピヌナッツアむスクレヌプなど、時間の蚱す限り屋台をたわり、様々な食を䜓隓した。

埩路八堵で列車の運行にトラブルが発生しお、基隆行列車の到着芋蟌みが立たなくなり、近くにいた乗客のアドバむスにより、駅前で#406のバスに乗り、基隆枯に近い仁二路たで戻り、曟家鍋貌店の煎包ゞ゚ンバオ肉たんの䞀皮ず鍋貌グォティ゚焌き逃子で締めた。電車もバスも、賌入枈みの悠遊カヌドですべお賄えたのは䟿利であった。

  • 基隆ヌ十分 57TWD
    十分ヌ八堵 49TWD
    八堵ヌ仁二路 15TWD

March.22.2026

Own Instagram walking tour!

Voyage122、シンガポヌル
シンガポヌルの物䟡が衝撃的だった。有名店のチリクラブが4䞇円、Onのクラりドティルトりォヌキングシュヌズが3䞇円
シュヌズは埌で調べたら、圚庫によるが、日本ならただ2䞇円台で入手可胜であった。
䜕故こんなに物䟡が高いのか、答えは明癜である。単玔に、円の䟡倀が䞋がったこずにより、シンガポヌルドルの䟡倀が䞊がったためだ。
具䜓的には、6幎前およそ82円であったシンガポヌルドルの1ドルは、今は124円になっおいた。

因みにシンガポヌルの面積は東京23区ずほが同じで、垂䞭心郚はさらに狭いため、䞻な芋どころぞは埒歩移動が可胜です。
僕はInstagramの画像を画像怜玢しお蚪ねる、Instagram Walking tourをselfで行いたした。

March.12.2026

Revolutでトラブル発生

ペハネスブルクのGautrainにタッチ決枈で乗車しおから3日埌、手数料ず称する260レアルもの䞍審な匕き萜ずしがあり、Revolutアプリで問題を遞択しお調査を䟝頌した。
このずき、身に芚えのない匕き萜ずしのあったこずだけが事実であり、それが䞍正利甚か、誀った請求かなんお深く考えはしなかった。

Revolutの調査は30分もかからず終了し、申請は华䞋された。
理由は、Gautrainを私自身が3月5日に利甚承認しおいるから、Gautrainからの請求は䞍正利甚に圓たらないずいうものだった。

しかし、Gautrainの支払は3月5日の利甚履歎から正しく凊理されおおり、完結しおいる筈である。

GautrainのHPを芋るず、耇数枚カヌドを財垃などに入れタッチしお、読み取り゚ラヌを発生させた堎合には、それぞれのカヌドから眰金ずしお260レアルの城収があるず曞いおある。
私はカヌド単独でタッチしおおり、5日に取匕履歎も確認しおいるので、埌日8日になっお260レアル匕き萜ずされるのは玍埗いかず、項目も手数料ずだけあり曖昧なため、内郚者の䞍正犯眪の疑いもある二重課金ではないかずチャットで申し立おた。

これに察しRevolut偎の察応は、そうであっおも、䞀床华䞋されたものは再調査出来ず、返金も出来ないずいう。
さらに、調査䟝頌したこずによりカヌドが無効化され、再発行手続きに誘導されたが、これは無料ではなく、有償である。

以䞋にこのずきのチャットでのRevolutの察応を掲茉するので、参考にしおください。

アプリの案内に改善の䜙地があったこず、真摯に受け止めさせおいただきたす。お客様がおっしゃるように、「請求内容に関する異議申し立お」ず「䞍正利甚の報告」は、明確に区別しおご案内すべきでした。

倧倉恐瞮ながら、䞀床完了したチャヌゞバックの刀断を芆すこずは、カヌド䌚瀟の芏定䞊、私どもではできかねたす。この床の件で、ご期埅に沿えず、誠に申し蚳ございたせん。

March.11.2026

Ariary

Voyage122、ポヌト゚リザベス2日目・䞀時䞋船 → トアマシナマダガスカル再乗船
颚速125mile時速玄200kmのサむクロンGezaniゲザニがマダガスカル東郚を襲い、トアマシナ付近を通過したのが2月10日であった。
その18日埌にはアメリカずむスラ゚ルがむランぞの軍事攻撃を開始、䞭東ずアフリカを結ぶ航空路にも圱響が出始めおいる。

Port Elizabeth International Airportを立ちJohannesburgペハネスブルクで1泊、O.R. Tambo International AirportからJomo Kenyatta International Airport/Kenyaケニアを経由しおIvato International Airport/Antananarivoアンタナナリボぞ

早朝、Antananarivoアンタナナリボの倖資系ホテルに備えられたATMで入手困難ず蚀われる通貚Ariaryを手に入れ、Baobabバオバブ trees暹朚に䌚うためMorondavaモロンダバぞ、マダガスカルの囜内線は運航スケゞュヌルが非垞に流動的であり、Embraer 190は搭乗人数が20名にも満たなかったが、無事、3日目にしお暁のバオバブに巡り䌚えた。

4日目、Laguna Beachにほど近い氎路からカヌヌでBetania Fishing Villageぞ、朝の持村は掻気に満ちおおり、優しさが溢れおいた。

5日目の早朝、再びThe Avenue of the Baobabsバオバブ街道未舗装道路8号線ぞ、途䞭、鮮やかな゚メラルド色をしたFurciferフルシファヌ・viridisノィリディスChameleonカメレオンに出逢った。
アンタナナリボに戻り、バスで東郚のPerinetペリネ特別保護区に近いVakona Forest Lodgeに向かう。

6日目、飌育が困難で近絶滅危惧皮に指定されおいるIndriむンドリ、倚圩な毛皮ずヘッドバンドを備えるこずから森の宝石ず蚀われおいるDiademed ダむアデム Sifakasシファカに遭遇、Lemurレムヌル Islandにお、black-and-white クロシロ゚リマキ ruffedキツネザル、オレンゞ色の目をしたBrownブラりン Lemur暗い赀耐色から灰色がかった個䜓たで、色圩倉異がありたすず、 bamboo竹を䞻食ずしおいるHapalemurゞェントルキツネザル griseus灰色-bamboo lemursに察面した。

最終日、Vakona Forest Lodgeを7時過ぎに出発しお、䞭倮高原を貫くRN2囜道2を東に向けお4時間あたり進み、Brickavilleブリッカビルに近いRianira riverの鉄軌道䜵甚トラス橋に差し掛かったあたりから、ハリケヌンによる被害ず圱響枋滞が断片的に芋え始めた。森林の倧芏暡な切れ朚や、倒壊する家屋を目の圓たりにPerinetからはおよそ9時間かかり、本船に合流した。

March.04.2026

Route 67

Voyage122、ポヌト゚リザベス1日目
ポヌト゚リザベスはアフリカにおける自動車産業の芁衝である。

Quantuクワントゥ保護区はゞャングルを想像しおいたが、ここはSidburyシドベリヌ平原のBushmanブッシュマン’s Riverの河岞に䜍眮する、生物倚様性に富んだ草原である。
ビッグ5lion, leopard, rhinocerosサむ, elephant, and Cape buffaloず蚀われるアフリカにおける象城的な動物のうち、Afternoon Game Drivesで目の圓たりにできたのはrhinocerosずelephantのみであるが、zebraシマりマ, giraffeキリン, duikerデュむカヌ, warthogむボむノシシ, antelopeアンテロヌプ, wildebeestヌヌ, vervetベルベット monkeyなども遭遇するこずができた。

枯の呚蟺は日䞭でも薄暗く、人通りがないため、埒歩での倖出は掚奚されず、サファリツアヌの垰り、ダングのSさんから打蚺を受け、アトリりムで埅ち合わせ、タクシヌにお、ドンキン保護区に向かった。
このタクシヌには、ちょっずした゚ピ゜ヌドがある。

我々は船内で音楜掻動するH・Oさんの玹介を受けおこのタクシヌに乗車し、ドラむバヌに報酬を支払ったが、圌は僕が握りしめおいた1ドル札に気付いた。

僕がこれは駄目だずいう態床を瀺すず、圌は1ドルのために家族に぀いお語り始めた 

1ドルを手にした圌は、ハむテンションでハグしお、2人に謝意を衚した。
僕らもたた、1ドルがどれだけ倧切かを教えられ、圌ずの出䌚いに感謝した。

※. Route 67は、ネル゜ン・マンデラ氏が公共生掻に捧げた幎月を称える67点の芞術䜜品をコレクションした、トレむルです。

March.02.2026

Langa

Voyage122、ケヌプタりン
次に蚪問する囜が、自ら開発した栞兵噚を廃絶した囜、南アフリカっお、ちょっず嬉しい。
Nelson Mandela氏は、アパルトヘむトを廃絶出来たのだから、栞兵噚も廃絶出来るずメッセヌゞを送った。

南アフリカで最も叀いタりンシップ、ランガ地区を蚪れる亀流コヌスに参加、ツアヌはアパルトヘむトの歎史を䌝えるパス博物通における、蚱可蚌䞍携垯などを裁く、暡擬裁刀から始たった。

我々を受け入れおくれた非営利団䜓iKhayaむカダ leレ LangaランガずAirbubの創蚭者は共同で、卒業した女性起業家がAirbubを始めるこずが出来るプラットフォヌムを提䟛した。
ランガ地区に滞圚しおもらうこずで実際にそのコミュニティを理解するこずができるずいう。

ケヌプタりン党䜓を芋た治安は良いずはいえず、ずくにタりンシップ゚リアずいわれる隣接しおタりンシップが連なる堎所は、※1犯眪者が流入しやすい環境にあるずいうデヌタがあり、心配な人もいるだろう。ランガタりンシップずは離れおおり、犯眪が皆無なわけではないが、地域内で䞍安を感じるこずはなかった。

ここはアヌトが文化に根ざしおおり、歎史を継承するずずもに技術を磚き、様々な圢で自立の道を開く取り組みが行われ成果を䞊げおいるのが、匷く印象に残った。

倖科医、著名なパヌカッションアンサンブルのメンバヌ、蚘録的なクリケットの遞手など、瀟䌚的な貢献をした地域出身者を茩出した堎所䜏居には、黒いプレヌトを掲げおおり、広く蚪れる人に認知しおもらう取り組みも行われおいる。

※1. 珟地NPOによる説明の䞭でも、黒人間による栌差が拡がっおいるこずが課題ずしお取り䞊げられた。

February.27.2026

Windhoek

Voyage122、りォルビスベむ
ナミビア寄枯を前に、アフリカの声を聎き、怜蚌に参加した。
1884幎、ビスマルクが䞻催した、ペヌロッパ列匷14ヵ囜参加のベルリン䌚議によりアフリカの分割・怍民地化が決められ、アフリカ党土がそれらの囜々により占領、支配された。
たたホロコヌストの原点はナチスではなく、むギリスのボヌア戊争であるず蚀われおいる。
1900幎ごろより匷制収容所戊略を展開、女性や子どもが収容され、2䞇人が䞻に飢逓で死亡したずされる

独立するには財産暩を保護するずいう䞍平等条玄を結ばされ、癜人が資源を独占、アパルトヘむトの終わった今も黒人は倧半の土地を取り戻せないたた、貧困の連鎖に陥っおいる。
タりンシップ旧隔離居䜏区を指すが、ここでは拡倧解釈しお、䞍法占拠扱いされおいるスラムも含むには廃品回収業者ずリサむクル業者が存圚する。あらゆるものが持ち蟌たれ、再生され、人々の生掻の糧ずなっおいるが、そこで埗られる収入は僅かなものである。

ナミビアでは、1904〜1908幎の間にドむツ人がヘレロ族の80%に圓たる6侇5千人ず、ナマ族の1䞇人以䞊を虐殺しお土地を奪い、今もその65%を僅か数%の癜人䞻にドむツ系で保有し続けおいる。
生存するためにはそこに生息する動物が密接にかかわり、嘗おヘレロ族は牧畜を䞭心に生掻しおいたが、怍民地政策では動物の飌育も芏制された。

2021幎、ドむツはゞェノサむドを認めたが、謝眪および補償には至っおいない。ナミビア政府ずドむツ政府の亀枉は、圓事者抜きで行われおいるず、ヘレロ族やマナ族の子孫は語る。

開発揎助ずいう名目で資源を運び出すための道路が建蚭されるずき、その蚈画䞊にいる貧困な人々は、家や財産を倱う。なんの補償もない。

日本ではどのような報道がなされ、囜は盎接的、間接的にどのように関䞎するのか、ニュヌスの芋方も倉わるのではないだろうか。
衚題は、ナミビアの銖郜であるず同時に、ナミビア・ブリュワリヌズが補造・販売するドむツビヌルの代衚的な銘柄でもありたす。

February.18.2026

Sambódromo

Voyage122、リオディゞャネむロ
サントスからリオたでの航海距離は短く、次の日の午埌には入枯、䞋船が始たったが、䜕凊に向かうか考えがたずたらず、VLTに乗るためのカヌドを買いに駅ぞ向かった。

ホヌム䞊のカヌド発行機では、ブラゞル以倖で発行されたデビットカヌドでの賌入が出来ないようで悪戊苊闘したが、詊行錯誀しお、なんずかアメックスで買うこずが出来た。
やっお来た電車の運転士は小柄な若い女性で、頭に巻いたサンバの花食りが可愛い。

1郚リヌグ初日のカヌニバルではAmazÃŽniaアマゟンの森ず先䜏民族を題材にした、第四グルヌプのMangueliraマンゲむラを掚す珟地の人や、䞖界䞀呚航空刞で旅をしおいる日本のダングず仲良くなった。
しかしこの日のカヌニバルはLula倧統領の生涯を題材にしたAcadêmicosアカデミコス deデ Niteróiニチロむのパレヌドから始たり、我々はプロパガンダの歎史的瞬間にも立ち䌚った。
テヌマにしたこずもさるこずながら、”Olê, olê, olê, olá / Lula, Lula”の合唱は、遞挙を控えおおり、波王を呌んだ。
因みに第二グルヌプはサンバスクヌルのImperatrizむンペラトリス・Leopoldinenseレオポルディネンセの芞術、第䞉グルヌプはアフリカの王族が題材であった。

二日目はアリヌナ垭から芳賞した。
䌝説のブラゞル人歌手Ritaリタ・Leeリヌの物語から始たった。
第二グルヌプは奎隷制床の廃止、勝ち埗た自由ず未来が題材。第䞉グルヌプは、埌日優勝が宣蚀された、Viradouroノィラドりロによるパフォヌマンスで、今幎70歳になる䌝説の打楜噚指揮者Moacyrモアシヌル daダ Silvaシりノァ Pintoピント通称Ciçaシッサを登堎させおのドラムを甚いた挔出が高埗点に繋がった。第四グルヌプは黒人女性䜜家のCarolinaカロリヌナ Mariaマリア deデ Jesusゞェスをテヌマずした。
サンバの゚ネルギヌず情熱は䜕凊から来るのか、参加者の衚情を画像に収めた。

February.15.2026

Mauá

Voyage122、むグアスを経おサントスぞ
先ずはりルグアむずブラゞル、3囜の囜境が接しおいる地点ぞ行き、戻っおホテルにチェックむン。
ゞャングルに囲たれたリゟヌトに2泊しお、むグアスの滝をブラゞルずアルれンチン偎から堪胜したが、陞地から䞀枚の写真に収めるには、滝はあたりにも広過ぎた。

3日目、サンパりロぞ飛び、サントスで船ず合流するため、あらためおアルれンからブラゞル偎に入囜したが、事前にフラむトのwebチェックむンが出来ず、パスポヌトの察面チェックがあったためず思われる。

サントスの旧垂街に昚幎12月1日、VLTラむトレヌル/ L2が開業したので利甚し、Conselheiro NébiasでL1に乗り換え、Barreirosに向かった。

Túnel José Menino隧道の䞭に、生掻しおいる人がおり、驚いた。
さらに前埌でも、線路甚地に入り蟌み、生掻しおいる人が目撃された。

Emmerichの付近はゎミが道路に溢れ、倧量のカラスが飛来しおそれを持っおいる。

あたりの衝撃的な光景に、日が倉わっお別の友達ずもう䞀床VLTに乗車しおValonguぞ向かったが、この日はサンバのため、VLTには思い思いのサンバ衣装をたずった人が途䞭駅から次々ず乗車しお来た。

我々はそれらの掟手な衣装をたずった人たちの埌を远っおMauáで䞋車しおサンバ䌚堎に入り、旧垂街をパレヌドするトラムの行進に぀いお行ったが、ひずたわりするのず䞊行しお屋台のカクテルやバヌベキュヌを賌入しお腹を満たした。
滞圚は短く垰船時刻が迫り、Wi-Fiを探すがUberが぀ながらず、付近の敎理にあたる芳光譊察にも詊しおもらい、枯たで送っおいただいた。

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