March.02.2026

Langa

Voyage122、ケヌプタりン
次に蚪問する囜が、自ら開発した栞兵噚を廃絶した囜、南アフリカっお、ちょっず嬉しい。
Nelson Mandela氏は、アパルトヘむトを廃絶出来たのだから、栞兵噚も廃絶出来るずメッセヌゞを送った。

南アフリカで最も叀いタりンシップ、ランガ地区を蚪れる亀流コヌスに参加、ツアヌはアパルトヘむトの歎史を䌝えるパス博物通における、蚱可蚌䞍携垯などを裁く、暡擬裁刀から始たった。

我々を受け入れおくれた非営利団䜓iKhayaむカダ leレ LangaランガずAirbubの創蚭者は共同で、卒業した女性起業家がAirbubを始めるこずが出来るプラットフォヌムを提䟛した。
ランガ地区に滞圚しおもらうこずで実際にそのコミュニティを理解するこずができるずいう。

ケヌプタりン党䜓を芋た治安は良いずはいえず、ずくにタりンシップ゚リアずいわれる隣接しおタりンシップが連なる堎所は、※1犯眪者が流入しやすい環境にあるずいうデヌタがあり、心配な人もいるだろう。ランガタりンシップずは離れおおり、犯眪が皆無なわけではないが、地域内で䞍安を感じるこずはなかった。

ここはアヌトが文化に根ざしおおり、歎史を継承するずずもに技術を磚き、様々な圢で自立の道を開く取り組みが行われ成果を䞊げおいるのが、匷く印象に残った。

倖科医、著名なパヌカッションアンサンブルのメンバヌ、蚘録的なクリケットの遞手など、瀟䌚的な貢献をした地域出身者を茩出した堎所䜏居には、黒いプレヌトを掲げおおり、広く蚪れる人に認知しおもらう取り組みも行われおいる。

※1. 珟地NPOによる説明の䞭でも、黒人間による栌差が拡がっおいるこずが課題ずしお取り䞊げられた。

February.27.2026

Windhoek

Voyage122、りォルビスベむ
ナミビア寄枯を前に、アフリカの声を聎き、怜蚌に参加した。
1884幎、ビスマルクが䞻催した、ペヌロッパ列匷14ヵ囜参加のベルリン䌚議によりアフリカの分割・怍民地化が決められ、アフリカ党土がそれらの囜々により占領、支配された。
たたホロコヌストの原点はナチスではなく、むギリスのボヌア戊争であるず蚀われおいる。
1900幎ごろより匷制収容所戊略を展開、女性や子どもが収容され、2䞇人が䞻に飢逓で死亡したずされる

独立するには財産暩を保護するずいう䞍平等条玄を結ばされ、癜人が資源を独占、アパルトヘむトの終わった今も黒人は倧半の土地を取り戻せないたた、貧困の連鎖に陥っおいる。
タりンシップ旧隔離居䜏区を指すが、ここでは拡倧解釈しお、䞍法占拠扱いされおいるスラムも含むには廃品回収業者ずリサむクル業者が存圚する。あらゆるものが持ち蟌たれ、再生され、人々の生掻の糧ずなっおいるが、そこで埗られる収入は僅かなものである。

ナミビアでは、1904〜1908幎の間にドむツ人がヘレロ族の80%に圓たる6侇5千人ず、ナマ族の1䞇人以䞊を虐殺しお土地を奪い、今もその65%を僅か数%の癜人䞻にドむツ系で保有し続けおいる。
生存するためにはそこに生息する動物が密接にかかわり、嘗おヘレロ族は牧畜を䞭心に生掻しおいたが、怍民地政策では動物の飌育も芏制された。

2021幎、ドむツはゞェノサむドを認めたが、謝眪および補償には至っおいない。ナミビア政府ずドむツ政府の亀枉は、圓事者抜きで行われおいるず、ヘレロ族やマナ族の子孫は語る。

開発揎助ずいう名目で資源を運び出すための道路が建蚭されるずき、その蚈画䞊にいる貧困な人々は、家や財産を倱う。なんの補償もない。

日本ではどのような報道がなされ、囜は盎接的、間接的にどのように関䞎するのか、ニュヌスの芋方も倉わるのではないだろうか。
衚題は、ナミビアの銖郜であるず同時に、ナミビア・ブリュワリヌズが補造・販売するドむツビヌルの代衚的な銘柄でもありたす。

February.18.2026

Sambódromo

Voyage122、リオディゞャネむロ
サントスからリオたでの航海距離は短く、次の日の午埌には入枯、䞋船が始たったが、䜕凊に向かうか考えがたずたらず、VLTに乗るためのカヌドを買いに駅ぞ向かった。

ホヌム䞊のカヌド発行機では、ブラゞル以倖で発行されたデビットカヌドでの賌入が出来ないようで悪戊苊闘したが、詊行錯誀しお、なんずかアメックスで買うこずが出来た。
やっお来た電車の運転士は小柄な若い女性で、頭に巻いたサンバの花食りが可愛い。

1郚リヌグ初日のカヌニバルではAmazÃŽniaアマゟンの森ず先䜏民族を題材にした、第四グルヌプのMangueliraマンゲむラを掚す珟地の人や、䞖界䞀呚航空刞で旅をしおいる日本のダングず仲良くなった。
しかしこの日のカヌニバルはLula倧統領の生涯を題材にしたAcadêmicosアカデミコス deデ Niteróiニチロむのパレヌドから始たり、我々はプロパガンダの歎史的瞬間にも立ち䌚った。
テヌマにしたこずもさるこずながら、”Olê, olê, olê, olá / Lula, Lula”の合唱は、遞挙を控えおおり、波王を呌んだ。
因みに第二グルヌプはサンバスクヌルのImperatrizむンペラトリス・Leopoldinenseレオポルディネンセの芞術、第䞉グルヌプはアフリカの王族が題材であった。

二日目はアリヌナ垭から芳賞した。
䌝説のブラゞル人歌手Ritaリタ・Leeリヌの物語から始たった。
第二グルヌプは奎隷制床の廃止、勝ち埗た自由ず未来が題材。第䞉グルヌプは、埌日優勝が宣蚀された、Viradouroノィラドりロによるパフォヌマンスで、今幎70歳になる䌝説の打楜噚指揮者Moacyrモアシヌル daダ Silvaシりノァ Pintoピント通称Ciçaシッサを登堎させおのドラムを甚いた挔出が高埗点に繋がった。第四グルヌプは黒人女性䜜家のCarolinaカロリヌナ Mariaマリア deデ Jesusゞェスをテヌマずした。
サンバの゚ネルギヌず情熱は䜕凊から来るのか、参加者の衚情を画像に収めた。

February.15.2026

Mauá

Voyage122、むグアスを経おサントスぞ
先ずはりルグアむずブラゞル、3囜の囜境が接しおいる地点ぞ行き、戻っおホテルにチェックむン。
ゞャングルに囲たれたリゟヌトに2泊しお、むグアスの滝をブラゞルずアルれンチン偎から堪胜したが、陞地から䞀枚の写真に収めるには、滝はあたりにも広過ぎた。

3日目、サンパりロぞ飛び、サントスで船ず合流するため、あらためおアルれンからブラゞル偎に入囜したが、事前にフラむトのwebチェックむンが出来ず、パスポヌトの察面チェックがあったためず思われる。

サントスの旧垂街に昚幎12月1日、VLTラむトレヌル/ L2が開業したので利甚し、Conselheiro NébiasでL1に乗り換え、Barreirosに向かった。

Túnel José Menino隧道の䞭に、生掻しおいる人がおり、驚いた。
さらに前埌でも、線路甚地に入り蟌み、生掻しおいる人が目撃された。

Emmerichの付近はゎミが道路に溢れ、倧量のカラスが飛来しおそれを持っおいる。

あたりの衝撃的な光景に、日が倉わっお別の友達ずもう䞀床VLTに乗車しおValonguぞ向かったが、この日はサンバのため、VLTには思い思いのサンバ衣装をたずった人が途䞭駅から次々ず乗車しお来た。

我々はそれらの掟手な衣装をたずった人たちの埌を远っおMauáで䞋車しおサンバ䌚堎に入り、旧垂街をパレヌドするトラムの行進に぀いお行ったが、ひずたわりするのず䞊行しお屋台のカクテルやバヌベキュヌを賌入しお腹を満たした。
滞圚は短く垰船時刻が迫り、Wi-Fiを探すがUberが぀ながらず、付近の敎理にあたる芳光譊察にも詊しおもらい、枯たで送っおいただいた。

February.10.2026

¿Cero es cero?

voyage122、ブ゚ノスアむレス
䞀時䞋船5日目、カラファテ空枯からブ゚ノスアむレスに向かった。
鉄道博物通を蚪ね、危機遺産的な状態で保存されおいる朚造客車に驚嘆し、その埌adidasのショップを探しおメッシのナニフォヌムのレプリカを二着賌入した。
アルれンチンの若者はマヌキング字䜓に斜された现かな现工停造防止が䞻な目的ず考えられるが、䞊䞋の指暙にもなるなど、たったく気に止めない様子で、店員は躊躇するこずもなくれロの倩地をバラバラに転写したのでびっくりしたが、れロはひっくりかえっおもれロずいうこずか考え方や䟡倀芳の違いを感じた出来事であった。

February.08.2026

Patagonia

voyage122、りシュアむア〜䞀時䞋船
嘗お、アルれンチン政府が囜土を守るため、囚人をこの地に定䜏させ、築かせたずいうりシュアむア、南プゎ鉄道は森林から町ぞず朚材を運ぶために築かれたものが再生され、監獄は博物通ずなり遺産を今に残しおいる。
ここで船を降り、ロス・グラシアレス囜立公園に向かった。

県䞋に南パタゎニア氷原から流れ蟌む氷河が溶け出し、絵の具を溶かしたようなタヌコむズブルヌに染たったサンタクルス川ず、荒涌の倧地が芋えるずカラファテであるが、14幎前、南極の垰りのフラむトで空から眺めたずきは、氷河はもっず倧きかったず蚘憶しおいる。

ペリトモレノ氷河は、NHKが厩萜シヌンを攟映しおから、䞖界的に知られるようになったずいう。
20䞖玀初頭の゚ル カラファテは矊毛を茞送する拠点でした。入怍者たちは経隓に基づき、町を枓谷ではなく高原に圢成するよう提唱したした。高地に行くず叀い面圱を発芋出来るかもしれたせん。

February.02.2026

Centolla

Voyage122、プンタアレナス
マれランペンギンの島を蚪ねる珟地英語ガむドツアヌに参加するため、プンタアレナスの䞭心郚に䜍眮するアパヌトメントタむプのホテルを予玄、チェックむン埌Cerroセロ deデ laラ Cruzクルスの䞘から近いLa Yegua Locaで、ワむン゚アレヌタヌで泚いだたろやかなグラスワむンずずもに、名物のCentollaチリタラバ蟹ずPulpo en Mante ガヌリックバタヌでロヌストしたパタゎニア産タコをいただいた。

ここも䞀人歩きは掚奚されおいないが、最新の情報は、海倖クルヌズコミュニティサむト、cruise criticを参考にしおいる。

翌早朝、歩いお5分皋のツアヌオフィスから送迎バスでボヌト乗り堎ぞ、PBで旅行䞭の台湟から参加しおいる女の子らず䞀緒になる。
皆、日本語がわかり、賢く優しそうな可愛い子たちである。

我々は倧型クルヌザヌではなく、航行䞭屋根に䞊がるこずの出来る小型ボヌトを遞んだが、それは正しかった。
最初の航海ではOtariaオタリアパタゎニア アシカ、海鵜を芳察するためIsla Martaマルタ島に接近するが、この構造のおかげで、玠晎らしい写真を撮るこずが出来た。

次にマれランペンギンの営巣えいそうのあるIsla Magdalenaマグダレナ島に向かった。䞊陞しお、マれランペンギンに䌚い、オオミズナギドリや、成長した雛なども芋るこずが出来た。

ツアヌ埌は街で最も歎史あるShackletonシャクルトン Barで、Bruschettasブルスケッタをいただき、気候、倩気も良かったので、埀埩ずもシャトルバスに乗らず歩いた。

January.27.2026

Ascensor

Voyage122、バルパラむ゜
朝、コンテナタヌミナル着岞。日本に興味を持぀若者たちず街歩きする亀流ツアヌに参加、日本文化などのUPA物資を持ち、枯からシャトルバスで旅客タヌミナルぞ。

Franciaフランシア駅から1,678mm軌間のEFE Valparaísoが運行する電車に乗り、Bellavistaベシャビスタ駅で降り、Anibal Pintoアンニバル・ピント広堎を起点に、日系人協䌚ボランティアのメンバヌずずもに、6〜7名グルヌプでコンセプシオンの䞘の麓からAscensorアセン゜ヌル傟斜匏゚レベヌタヌを目指す。

垂内では芳光客を狙った、車やバむクによるひったくり、スリなどが倚発しおおり、泚意喚起が発せられる少々厄介な土地でもある。

バルパラむ゜は䞘陵地に発展した郜垂構造をしおおり、19䞖玀末から20䞖玀初頭にかけおアセン゜ヌルが蚭眮された。Asc. Reina Victoriaは1902幎に建蚭、傟斜角はおよそ70床くらい、想像したより急角床である。
垂内には玄30のアセン゜ヌルがあるそうだが、皌働しおいるのは、およそ半分であるずいう。
叀いものは130幎以䞊の歎史があり、長厎のような自動運転ではなく、昔ながらに人が操䜜しお運転する。

パナマ運河以前、南米最倧の枯湟郜垂ずしお栄えた歎史的街䞊みは䞖界文化遺産に登録され、アヌトの街ずしお知られる。散策の埌、Alegraアレグラの䞘より、1901幎に開業したAscensor EL PERAL゚ル・ペラルに乗るが、こちらは傟斜角45.2床、䞋駅Plaza de la Justiciaの゚ントランスは垂䞭心郚らしく呚囲ずの調和をはかり、叀い建築様匏を保ち、Interoceánicaビルず隣り合わせた建物の隅に、小さくプレヌトを掲げおいる。

Puertoプ゚ルト駅で、改札機をくぐり無賃乗車する者が䜕名か目撃されたが、圌らは厄介な存圚なのか、誰も関わらぬ様子であった。

クルヌズタヌミナルに戻り、UPAの莈呈匏があった。
支揎物資は、日本文化を知り、䌝えるために圹立おられるが、茶道道具など、䞀郚のものに぀いおは、珟地で䜿い方を䌝授する人が䞍足しおいるなどの課題も芋えた。

January.23.2026

A Machu Picchu

Voyage122、カダオ2〜4日目
晊日の午埌、むンカレヌルずペルヌレヌルの列車が正面衝突し、死傷者の出る痛たしい事故があった。事故は残念ながら人々が過去の過ち※1を忘れおしたったずきに再発する。

午前2時15分出発、Limaリマよりチャヌタヌ機でCuscoクスコ〜Urubambaりルバンバぞ、聖なる谷※2. Morayモラむ遺跡、Marasマラスの塩田、Ollantaytamboオリャンタむタンボを芋孊しお、むンカレヌルにおマチュピチュ村アグアスカリ゚ンテスぞ、むンカレヌルずペルヌレヌルはずもに3フィヌト914mm軌間の同じレヌル䞊を走っおおり、線路の管理はFerrocarril Transandinoトランスアンディノ S.A.が担圓しおいる。
継電連動裝眮はない様子で、転蜍機は鎖錠を解き、人力でレバヌを操䜜しお転換しおいた。

翌朝、マチュピチュ遺跡たでConsettur瀟のシャトルバスで行き、マチュピチュ村のフォトスポットず蚀われ、最も高い䜍眮テラスから遺跡を俯瞰するサヌキット1の゚リアに入堎した。
サヌキット1は厳密には遺跡の䞭には入らず、俯瞰するのみの゚リアであるため、倩候が悪ければおしたいだが、幞いにも、霧の䞭から遺跡が姿を珟す感動的な瞬間を芋るこずが出来た。

午埌、再び列車に乗るためMachu Picchuマチュピチュ駅ぞ向かったが、線路は枓谷に沿っお敷かれおおり、村の入口で分岐しお、川沿いの商店街の先には旧Aguas Calientesアグアス・カリ゚ンテス駅があり、今も䞀郚列車はこちらを発着しおいる。

途䞭、発電所や幟぀かの遺跡を車窓から眺め、Ollantaytamboオリャンタむタンボたで戻り、りルバンバに宿泊、12角の石や倪陜の神殿など、むンカの卓越した建築技術を芋お、抂ね予定通りに船に戻り、゚ネルギッシュな倜景を目に焌き付け出航した。

※1. 参考2018幎の7月31日には、Aguas CalientesずOllantaytamboの間で、むンカレヌルの列車にペルヌレヌルの列車が埌方から衝突する事故が発生しおおりたす。
※2. クスコの北PisacピサックずOllantaytamboオリャンタむタンボの間に䜍眮し、rio Vilcanotaノィルカノタに平行しおいるむンカ垝囜の䞻芁な生産拠点。

January.20.2026

Metropolitano

Voyage122、カダオ1日目
暪浜を出航しお35日目にしお、最初の倧陞である南米のカダオに䞀日早く倜入枯、朝、枯に埅機しおいるタクシヌに、メトロ2号線のEvitamiento゚ビタミ゚ント駅たで行っお欲しいず䌝えるず、付近は治安が悪いので同行しおもいいかず聞かれ、お願いしおドラむバヌず共に䞀埀埩乗車した。

リマのメトロは珟圚1号線ず2号線の䞀郚が開業しおいるが、1号線は高架方匏で建蚭されたため、2号線が初の地䞋鉄であり、今もテスト運転が継続されおおり、無料で乗車させおいた。
車内はトンネル断面の制玄か倩井がやや䜎いが、扉䞊郚に日本ならあるはずの鎚居がなく、出入口の高さは十分確保され、芖芚的にも随所に工倫が芋られ快適であった。

郚分開業の終点になっおいるMercado Santa Anitaサンタ・アニヌタ駅の近くには倧きな卞売垂堎があり、ドラむバヌがPacayパカむ別名:アむスクリヌムビヌンを買っおくれたので詊食したが、綿のような癜い果肉のフルヌツで、適床な甘味ず氎分があり、倧倉矎味しかった。

地䞋鉄駅たで片道玄20kmを運んでもらい、車に空で垰っおもらうのも申し蚳なく、その埌䞖界遺産に登録されおいるリマ倧聖堂ずサン・フランシスコ修道院を蚪ね、米囜が寄莈した状態の良くないCaltrainの珟状を芋せおいただき、そこからSan Juan de Lurigancho地域を遠望した。

ドラむバヌはHuaca Pucllanaワカ・プクダヌナ遺跡も芋せたかったらしく、車を駐車堎に眮き、CentralからAngamosたでMetropolitanoメトロポリタヌノバス高速茞送システム/ BRT Systemを指し、専甚レヌンは通垞路線ず急行路線に区別される。のExpreso 1急行に乗車したが、これが凄い高加枛速で印象深かった。

10時間におよぶ内容の濃い1Day Tripになるも、メトロ1号線には乗車出来なかったが、共にランチを食べ、メトロ2号線の建蚭珟堎を芋せおいただいたりしお、倕刻枯ぞ戻った。

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