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February.27.2026

Windhoek

Voyage122、ウォルビスベイ
ナミビア寄港を前に、アフリカの声を聴き、検証に参加した。
1884年、ビスマルクが主催した、ヨーロッパ列強14ヵ国参加のベルリン会議によりアフリカの分割・植民地化が決められ、アフリカ全土がそれらの国々により占領、支配された。
ホロコーストの原点はナチスではなく、イギリスのボーア戦争であると言われている。
(1900年ごろより強制収容所戦略を展開、女性や子どもが収容され、2万人が主に飢餓で死亡したとされる)

独立するには財産権を保護するという不平等条約を結ばされ、白人が資源を独占、アパルトヘイトの終わった今も黒人は大半の土地を取り戻せないまま、貧困の連鎖に陥っている。
タウンシップ(旧隔離居住区を指すが、ここでは拡大解釈して、不法占拠扱いされているスラムも含む)には廃品回収業者とリサイクル業者が存在する。あらゆるものが持ち込まれ、再生され、人々の生活の糧となっているが、そこで得られる収入は僅かなものである。

ナミビアでは、1904〜1908年の間にドイツ人がヘレロ族の80%に当たる6万5千人と、ナマ族の1万人以上を虐殺して土地を奪い、今もその65%を僅か数%の白人(主にドイツ系)で保有し続けている。
生存するためにはそこに生息する動物が密接にかかわり、嘗てヘレロ族は牧畜を中心に生活していたが、植民地政策では動物の飼育も規制された。

2021年、ドイツはジェノサイドを認めたが、謝罪および補償には至っていない。ナミビア政府とドイツ政府の交渉は、当事者抜きで行われていると、ヘレロ族やマナ族の子孫は語る。

開発援助という名目で資源を運び出すための道路が建設されるとき、その計画上にいる貧困な人々は、家や財産を失う。なんの補償もない。

日本ではどのような報道がなされ、国は直接的、間接的にどのように関与するのか、ニュースの見方も変わるのではないだろうか。
表題は、ナミビアの首都であると同時に、ナミビア・ブリュワリーズが製造・販売するドイツビールの代表的な銘柄でもあります。

February.18.2026

Sambódromo

Voyage122、リオディジャネイロ
– Rio Carnival 2026 –
サントスからリオまでの航海距離は短く、次の日の午後には入港、下船が始まり、VLTに乗るためのカードを入手しに駅へ向かった。

ホーム上のカード発行機では、ブラジル以外で発行されたデビットカードでの決済が出来ないようで悪戦苦闘した。試行錯誤して、なんとかアメックスで購入出来たが、この後、因果関係はわからぬもののクレカがCaliforniaのBuffalo Wild Wingsでオンライン決済に使われた(苦笑)。(船内有料サービスなどは、カードの利用停止/再発行手続きを行うと以後の引き落としに支障をきたすので、利用シーン別にカードを使い分けるのがお勧めです。)
やって来た電車の運転士は小柄な若い女性で、頭に巻いたサンバの花飾りが可愛い。

1部リーグ初日のカーニバルではAmazôniaアマゾンの森と先住民族を題材にした、第四グループのMangueliraマンゲイラを推す現地の人や、世界一周航空券で旅をしている日本のヤングと仲良くなった。
しかしこの日のカーニバルはLula大統領の生涯を題材にしたAcadêmicosアカデミコス deデ Niteróiニチロイのパレードから始まり、我々はプロパガンダの歴史的瞬間にも立ち会った。
テーマにしたこともさることながら、”Olê, olê, olê, olá / Lula, Lula”の合唱は、選挙を控えており、波紋を呼んだ。
因みに第二グループはサンバスクールのImperatrizインペラトリス・Leopoldinenseレオポルディネンセの芸術、第三グループはアフリカの王族が題材であった。

カーニバル期間中の混雑を避け、ターミナルのツアーディスクを介し、ヘリコプターでコルコバードを遊覧するツアーを申し込んだが、現地申し込みは推奨されず、ぼったくり且つドル建ての罠に嵌まる。

というのもツアーデスク(仲介業者)はドルで提示してくるから、ドルが使えるものと錯覚してしまう。ところが、実際のアクティビティの実行者は、よくわからぬ換算レートを用いてレアルで支払わせるのである。
ここはブラジルだからレアルで支払うのは当然と言えば当然であり、支払い通貨を確認しなかった当方にも落ち度はあるが、なんかモヤモヤする。

二日目はアリーナ席から観賞した。
伝説のブラジル人歌手Ritaリタ・Leeリーの物語から始まった。
第二グループは奴隷制度の廃止、勝ち得た自由と未来が題材。第三グループは、後日優勝が宣言された、Viradouroヴィラドウロによるパフォーマンスで、今年70歳になる伝説の打楽器指揮者Moacyrモアシール daダ Silvaシウヴァ Pintoピント(通称Ciçaシッサ)を登場させてのドラムを用いた演出が高得点に繋がった。第四グループは黒人女性作家のCarolinaカロリーナ Mariaマリア deデ Jesusジェスをテーマとした。
サンバのエネルギーと情熱は何処から来るのか、参加者の表情を画像に収めた。

February.15.2026

Mauá

Voyage122、イグアスを経てサントスへ
先ずはウルグアイとブラジル、3国の国境が接している地点へ行き、戻ってホテルにチェックイン。
ジャングルに囲まれたリゾートに2泊して、イグアスの滝をブラジルとアルゼンチン側から堪能したが、陸地から一枚の写真に収めるには、滝はあまりにも広過ぎた。

3日目、サンパウロへ飛び、サントスで船と合流するため、あらためてアルゼンからブラジル側に入国したが、事前にフライトのwebチェックインが出来ず、パスポートの対面チェックがあったためと思われる。

サントスの旧市街に昨年12月1日、VLT(ライトレール/ L2)が開業したので利用し、Conselheiro NébiasでL1に乗り換え、Barreirosに向かった。

Túnel José Menino(隧道)の中に、生活している人がおり、驚いた。
さらに前後でも、線路用地に入り込み、生活している人が目撃された。

Emmerichの付近はゴミが道路に溢れ、大量のカラスが飛来してそれを漁っている。

あまりの衝撃的な光景に、日が変わって別の友達ともう一度VLTに乗車してValonguへ向かったが、この日はサンバのため、VLTには思い思いのサンバ衣装をまとった人が途中駅から次々と乗車して来た。

我々はそれらの派手な衣装をまとった人たちの後を追ってMauáで下車してサンバ会場に入り、旧市街をパレードするトラムの行進について行き、ひとまわりするのと並行して屋台のカクテルやバーベキューを購入して腹を満たした。
時間経過が早く帰船時刻が迫り、Wi-Fiを探すがUberにつながらず、付近で整理にあたる観光警察官の助けがあり、港まで送っていただいた。

February.10.2026

¿Cero es cero?

voyage122、ブエノスアイレス
一時下船5日目、カラファテ空港からブエノスアイレスに向かった。

ここでの秘かな楽しみは、地下鉄B線で活躍する、旧帝都高速度交通営団(現東京メトロ)丸の内線の500形に会うことであった。最も古い車両で製造から約70年、譲渡されてからも既に30年が経過しており、他形式への置き換えが進められている。B線のラインカラーは赤であるが、譲渡された当時のオリジナル塗装が好評であったため、ラインカラーのほうを緑から赤に変更したというエピソードがある。

Retiro train stationからおよそ600mにあるNational国立 Railway鉄道 Museum博物館には、19世紀後半〜20世紀初頭のPresidential Carを含む、手の込んだ工作の施された貴重な木造車両が保存されており、付近の治安に注意して訪ねたが、実車の多くは傷みが激しく、修復が追いついておらず、荒廃との狭間にある、危機遺産的な状況を見て絶句した。

その後adidasのショップを探してメッシのユニフォームのレプリカを二着購入した。
アルゼンチンの若者はマーキング字体に施された細かな細工(偽造防止が主な目的と考えられるが、上下の指標にもなる)など、まったく気に止めない様子で、店員は嬉しそうな表情を見せ、躊躇することもなくゼロの天地をバラバラに転写したのでびっくりしたが、ゼロはひっくりかえってもゼロということか?考え方や価値観の違いを感じた出来事であった。

February.08.2026

Patagonia

voyage122、ウシュアイア・一時下船
嘗て、アルゼンチン政府が国土を守るため、囚人をこの地に定住させ、築かせたというウシュアイア、南フエゴ鉄道は森林から町へと木材を運ぶために築かれたものが再生され、監獄は博物館となり遺産を今に残している。
ここで船を降り、ロス・グラシアレス国立公園に向かった。

眼下に南パタゴニア氷原から流れ込む氷河が溶け出し、絵の具を溶かしたようなターコイズブルーに染まったサンタクルス川と、荒涼の大地が見えるとカラファテであるが、14年前、南極の帰りのフライトで空から眺めたときは、氷河はもっと大きかったと記憶している。

ペリトモレノ氷河は、NHKが崩落シーンを放映してから、世界的に知られるようになったという。
20世紀初頭のエル カラファテは羊毛を輸送する拠点でした。入植者たちは経験に基づき、町を渓谷ではなく高原に形成するよう提唱しました。高地に行くと古い面影を発見出来るかもしれません。

February.02.2026

Centolla

Voyage122、プンタアレナス
マゼランペンギンの島を訪ねる現地英語ガイドツアーに参加するため、プンタアレナスの中心部に位置するアパートメントタイプのホテルを予約、チェックイン後Cerroセロ deデ laラ Cruzクルスの丘から近いLa Yegua Locaで、ワインエアレーターで注いだまろやかなグラスワインとともに、名物のCentolla(チリタラバ蟹)とPulpo en Mante…(ガーリックバターでローストしたパタゴニア産タコ)をいただいた。

ここも一人歩きは推奨されていないが、最新の情報は、海外クルーズコミュニティサイト、cruise criticを参考にしている。

翌早朝、歩いて5分程のツアーオフィスから送迎バスでボート乗り場へ、PBで旅行中の台湾から参加している女の子らと一緒になる。
皆、日本語がわかり、賢く優しそうな可愛い子たちである。

我々は大型クルーザーではなく、航行中屋根に上がることの出来る小型ボートを選んだが、それは正しかった。
最初の航海ではOtariaオタリア(パタゴニア アシカ)、海鵜を観察するためIsla Martaマルタ島に接近するが、この構造のおかげで、素晴らしい写真を撮ることが出来た。

次にマゼランペンギンの営巣えいそうのあるIsla Magdalenaマグダレナ島に向かった。上陸して、マゼランペンギンに会い、オオミズナギドリや、成長した雛なども見ることが出来た。

ツアー後は街で最も歴史あるShackletonシャクルトン Barで、Bruschettasブルスケッタをいただき、気候、天気も良かったので、往復ともシャトルバスに乗らず歩いた。