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October.30.2005

赤ちょうちん

十和田丸’80年代の初めにおいて、北海道の鉄道は千歳空港駅や石勝線の開業を迎える一方、羽幌、浜頓別、紋別、佐呂間、広尾の方面にも延びており、20日間有効の「北海道ワイド周遊券」を手に連絡船から乗り継いで道内を回るのが旅人の一般的な構図であった。
当時の周遊券の値段は東京-千歳の航空券片道分より安く、10月1日~5月31日までに購入するとさらに2割引になったので、使用開始日を1ヶ月後とした場合、ウスユキソウの咲く、最大7月19日までは移動費を抑えて旅行することができた。

檜山丸本州への連絡船が出入港する函館はまた、長いこと道内列車の起点として位置づけられ、早朝から深夜まで道内各地を結ぶ長距離列車が発着し、連絡船は夜間も運航して本州列車との接続にあたった。
ここでいう連絡船とは青森駅と函館駅を結んだ旧国鉄青函航路鉄道連絡船のことである。
連絡船には定期便の他、季節便、貨物便等があり、函館午前2時40分出航、青森同6時30分入港の便は不定期便ではあったが、1年の大半を運航し青函夜行として親しまれた。
私も道内各地から乗り継いだ列車で深夜に函館に到着し、この便に乗船することがあった。
連絡船の待ち時間があったことから、松風町で炉端焼きの店に入り、そこには同じように連絡船夜行便に乗る多くの旅人が集まってきた。
船の出航が近づくと、蛍の光が鳴っておひらきだ。その頃連絡船の出航時にも同じ曲が流れ、郷愁を誘った。
のちに東京にも出店され、縁で20年近く通った。
当時とはすっかり店の様子は変わったが、ひとつだけ変わらぬことがある。それは中央線の初電を前にして聞こえてくる蛍の光である。

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