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November.06.2005

なんさつ便り

南薩線を知っていますか?
 
かって薩南地方には大正~昭和の時代、文明開化の灯を運び、度重なる台風、災害そして戦争を経験しながらも、人々の生活を支え、希望とやすらぎを乗せて走り続けた地方鉄道がありました。
 
鉄道の中心的存在であり、本社のあった加世田の南薩鉄道記念館に、薩摩大崎駅開業(大正5年)頃の様子を伝える沿線案内絵巻が保管されています。
 
絵巻には、川内線の伊集院を起点として矢岳峠を越え、加世田に向かう線路がリアルな地形の中に描かれています。
鉄道敷設は、当時の土木水準からはかなりの難工事であったと伝えられています。
沿線の寺社が丁寧に描かれているのは、旅客誘致を意識してのことでしょうか。
そのうちのひとつ日置八幡は、日置五十二社の総鎮守社です。
 
伊集院-上日置間廃線後の鉄道用地は、将来の社会情勢による復活の望みを持って保全対象とされてきました。しかし最近10年では、土地の売却などが行われ、その遺構は急速に整理されつつあります。
 
川内線(鹿児島本線)に別れを告げ、神之川を越えて城山を迂回し、美山へ向かう薩摩街道と交差(立体交差)するあたりまで緩やかな上り勾配が続きます。線路敷きの枕木が撤去され、作業道として草刈もされております。(写真)
大田隧道に向かって勾配は徐々にきつくなり、小さな集落を眼下に見ます。朽ちた枕木が顔を覗かせ、焚き火の跡があります。
ここから先は以前の調査では土砂流失が確認され、最近人の立ち入った様子もありません。隧道はあきらめ一旦引き返します。
県道伊集院日吉線を迂回路とし、上日置駅手前で再び山に入ります。地名の由来である毘沙門天のとこまで行く事ができます。
 
最近、沿線の高齢化が進み、空き家が目立ってきました。一方、新しい生活を送る人達が土地を求め、新たな住宅開発も行われ、町は次第にその姿を変えつつあります。
 
枕崎駅本屋4月1日から鹿児島県内のバス、路面電車でICカード乗車券が使用開始されました。鹿児島交通では50,000円までチャージ可能な「いわさきICカード」を発行しています。
 
枕崎駅本屋昭和24年2月11日竣工。

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