March.12.2026

Revolutでトラブル発生

ペハネスブルクのGautrainにタッチ決枈で乗車しおから3日埌、手数料ず称する260レアルもの䞍審な匕き萜ずしがあり、Revolutアプリで問題を遞択しお調査を䟝頌した。
このずき、身に芚えのない匕き萜ずしのあったこずだけが事実であり、それが䞍正利甚か、誀った請求かなんお深く考えはしなかった。

Revolutの調査は30分もかからず終了し、申請は华䞋された。
理由は、Gautrainを私自身が3月5日に利甚承認しおいるから、Gautrainからの請求は䞍正利甚に圓たらないずいうものだった。

しかし、Gautrainの支払は3月5日の利甚履歎から正しく凊理されおおり、完結しおいる筈である。

GautrainのHPを芋るず、耇数枚カヌドを財垃などに入れタッチしお、読み取り゚ラヌを発生させた堎合には、それぞれのカヌドから眰金ずしお260レアルの城収があるず曞いおある。
私はカヌド単独でタッチしおおり、5日に取匕履歎も確認しおいるので、埌日8日になっお260レアル匕き萜ずされるのは玍埗いかず、項目も手数料ずだけあり曖昧なため、内郚者の䞍正犯眪の疑いもある二重課金ではないかずチャットで申し立おた。

これに察しRevolut偎の察応は、そうであっおも、䞀床华䞋されたものは再調査出来ず、返金も出来ないずいう。
さらに、調査䟝頌したこずによりカヌドが無効化され、再発行手続きに誘導されたが、これは無料ではなく、有償である。

以䞋にこのずきのチャットでのRevolutの察応を掲茉するので、参考にしおください。

アプリの案内に改善の䜙地があったこず、真摯に受け止めさせおいただきたす。お客様がおっしゃるように、「請求内容に関する異議申し立お」ず「䞍正利甚の報告」は、明確に区別しおご案内すべきでした。

倧倉恐瞮ながら、䞀床完了したチャヌゞバックの刀断を芆すこずは、カヌド䌚瀟の芏定䞊、私どもではできかねたす。この床の件で、ご期埅に沿えず、誠に申し蚳ございたせん。

March.11.2026

Ariary

早朝、Antananarivoアンタナナリボの倖資系ホテルに備えられたATMで入手困難ず蚀われる通貚Ariaryを手に入れ、Baobabバオバブ trees暹朚に䌚うためMorondavaモロンダバぞ、運航スケゞュヌルが非垞に流動的ず蚀われる囜内線で、搭乗者数は20名にも満たなかったが、無事、初日にしお暁のバオバブに巡り䌚えた。

2日目、Laguna Beachにほど近い氎路からカヌヌでBetania Fishing Villageぞ、朝の持村は掻気に満ちおおり、優しさが溢れおいた。

3日目の早朝、再びThe Avenue of the Baobabsバオバブ街道未舗装道路8号線ぞ、途䞭、鮮やかな゚メラルド色をしたFurciferフルシファヌ・viridisノィリディスChameleonカメレオンに出逢った。
アンタナナリボに戻り、バスで東郚のPerinetペリネ特別保護区に近いVakona Forest Lodgeに向かう。

4日目、飌育が困難で近絶滅危惧皮に指定されおいるIndriむンドリ、倚圩な毛皮ずヘッドバンドを備えるこずから森の宝石ず蚀われおいるDiademed ダむアデム Sifakasシファカに遭遇、Lemurレムヌル Islandにお、black-and-white クロシロ゚リマキ ruffedキツネザル、オレンゞ色の目をしたBrownブラりン Lemurず、 bamboo竹を䞻食ずしおいるHapalemurゞェントルキツネザル griseus灰色-bamboo lemursに察面した。

March.04.2026

Route 67

Voyage122、ポヌト゚リザベス1日目
ポヌト゚リザベスはアフリカにおける自動車産業の芁衝である。

Quantuクワントゥ保護区はゞャングルを想像しおいたが、ここはSidburyシドベリヌ平原のBushmanブッシュマン’s Riverの河岞に䜍眮する、生物倚様性に富んだ草原である。
ビッグ5lion, leopard, rhinocerosサむ, elephant, and Cape buffaloず蚀われるアフリカにおける象城的な動物のうち、Afternoon Game Drivesで目の圓たりにできたのはrhinocerosずelephantのみであるが、zebraシマりマ, giraffeキリン, duikerデュむカヌ, warthogむボむノシシ, antelopeアンテロヌプ, wildebeestヌヌ, vervetベルベット monkeyなども遭遇するこずができた。

枯の呚蟺は日䞭でも薄暗く、人通りがないため、埒歩での倖出は掚奚されず、サファリツアヌから戻るず、2人でタクシヌに乗り、ドンキン保護区に向かった。
このタクシヌには、ちょっずした゚ピ゜ヌドがある。

我々はドラむバヌに報酬を支払ったが、圌は僕が握りしめおいた1ドル札に気付いた。

僕がこれは駄目だずいう態床を瀺すず、圌は1ドルのために家族に぀いお語り始めた 

1ドルを手にした圌は、ハむテンションになりハグしお、2人に感謝を衚した。

※. Route 67は、ネル゜ン・マンデラ氏が公共生掻に捧げた幎月を称える67点の芞術䜜品をコレクションした、トレむルです。

March.02.2026

Langa

Voyage122、ケヌプタりン
次に蚪問する囜が、自ら開発した栞兵噚を廃絶した囜、南アフリカっお、ちょっず嬉しい。
Nelson Mandela氏は、アパルトヘむトを廃絶出来たのだから、栞兵噚も廃絶出来るずメッセヌゞを送った。

南アフリカで最も叀いタりンシップ、ランガ地区を蚪れる亀流コヌスに参加、ツアヌはアパルトヘむトの歎史を䌝えるパス博物通における、蚱可蚌䞍携垯などを裁く、暡擬裁刀から始たった。

我々を受け入れおくれた非営利団䜓iKhayaむカダ leレ LangaランガずAirbubの創蚭者は共同で、卒業した女性起業家がAirbubを始めるこずが出来るプラットフォヌムを提䟛した。
ランガ地区に滞圚しおもらうこずで実際にそのコミュニティを理解するこずができるずいう。

ケヌプタりン党䜓を芋た治安は良いずはいえず、ずくにタりンシップ゚リアずいわれる隣接しおタりンシップが連なる堎所は、※1犯眪者が流入しやすい環境にあるずいうデヌタがあり、心配な人もいるだろう。ランガタりンシップずは離れおおり、犯眪が皆無なわけではないが、地域内で䞍安を感じるこずはなかった。

ここはアヌトが文化に根ざしおおり、歎史を継承するずずもに技術を磚き、様々な圢で自立の道を開く取り組みが行われ成果を䞊げおいるのが、匷く印象に残った。

倖科医、著名なパヌカッションアンサンブルのメンバヌ、蚘録的なクリケットの遞手など、瀟䌚的な貢献をした地域出身者を茩出した堎所䜏居には、黒いプレヌトを掲げおおり、広く蚪れる人に認知しおもらう取り組みも行われおいる。

※1. 珟地NPOによる説明の䞭でも、黒人間による栌差が拡がっおいるこずが課題ずしお取り䞊げられた。

February.27.2026

Windhoek

Voyage122、りォルビスベむ
ナミビア寄枯を前に、アフリカの声を聎き、怜蚌に参加した。
1884幎、ビスマルクが䞻催した、ペヌロッパ列匷14ヵ囜参加のベルリン䌚議によりアフリカの分割・怍民地化が決められ、アフリカ党土がそれらの囜々により占領、支配された。
たたホロコヌストの原点はナチスではなく、むギリスのボヌア戊争であるず蚀われおいる。
1900幎ごろより匷制収容所戊略を展開、女性や子どもが収容され、2䞇人が䞻に飢逓で死亡したずされる

独立するには財産暩を保護するずいう䞍平等条玄を結ばされ、癜人が資源を独占、アパルトヘむトの終わった今も黒人は倧半の土地を取り戻せないたた、貧困の連鎖に陥っおいる。
タりンシップ旧隔離居䜏区を指すが、ここでは拡倧解釈しお、䞍法占拠扱いされおいるスラムも含むには廃品回収業者ずリサむクル業者が存圚する。あらゆるものが持ち蟌たれ、再生され、人々の生掻の糧ずなっおいるが、そこで埗られる収入は僅かなものである。

ナミビアでは、1904〜1908幎の間にドむツ人がヘレロ族の80%に圓たる6侇5千人ず、ナマ族の1䞇人以䞊を虐殺しお土地を奪い、今もその65%を僅か数%の癜人䞻にドむツ系で保有し続けおいる。
生存するためにはそこに生息する動物が密接にかかわり、嘗おヘレロ族は牧畜を䞭心に生掻しおいたが、怍民地政策では動物の飌育も芏制された。

2021幎、ドむツはゞェノサむドを認めたが、謝眪および補償には至っおいない。ナミビア政府ずドむツ政府の亀枉は、圓事者抜きで行われおいるず、ヘレロ族やマナ族の子孫は語る。

開発揎助ずいう名目で資源を運び出すための道路が建蚭されるずき、その蚈画䞊にいる貧困な人々は、家や財産を倱う。なんの補償もない。

日本ではどのような報道がなされ、囜は盎接的、間接的にどのように関䞎するのか、ニュヌスの芋方も倉わるのではないだろうか。
衚題は、ナミビアの銖郜であるず同時に、ナミビア・ブリュワリヌズが補造・販売するドむツビヌルの代衚的な銘柄でもありたす。

February.18.2026

Sambódromo

Voyage122、リオディゞャネむロ
サントスからリオたでの航海距離は短く、次の日の午埌には入枯、䞋船が始たったが、䜕凊に向かうか考えがたずたらず、VLTに乗るためのカヌドを買いに駅ぞ向かった。

ホヌム䞊のカヌド発行機では、ブラゞル以倖で発行されたデビットカヌドでの賌入が出来ないようで悪戊苊闘したが、詊行錯誀しお、なんずかアメックスで買うこずが出来た。
やっお来た電車の運転士は小柄な若い女性で、頭に巻いたサンバの花食りが可愛い。

1郚リヌグ初日のカヌニバルではAmazÃŽniaアマゟンの森ず先䜏民族を題材にした、第四グルヌプのMangueliraマンゲむラを掚す珟地の人や、䞖界䞀呚航空刞で旅をしおいる日本のダングず仲良くなった。
しかしこの日のカヌニバルはLula倧統領の生涯を題材にしたAcadêmicosアカデミコス deデ Niteróiニチロむのパレヌドから始たり、我々はプロパガンダの歎史的瞬間にも立ち䌚った。
テヌマにしたこずもさるこずながら、”Olê, olê, olê, olá / Lula, Lula”の合唱は、遞挙を控えおおり、波王を呌んだ。
因みに第二グルヌプはサンバスクヌルのImperatrizむンペラトリス・Leopoldinenseレオポルディネンセの芞術、第䞉グルヌプはアフリカの王族が題材であった。

二日目はアリヌナ垭から芳賞した。
䌝説のブラゞル人歌手Ritaリタ・Leeリヌの物語から始たった。
第二グルヌプは奎隷制床の廃止、勝ち埗た自由ず未来が題材。第䞉グルヌプは、埌日優勝が宣蚀された、Viradouroノィラドりロによるパフォヌマンスで、今幎70歳になる䌝説の打楜噚指揮者Moacyrモアシヌル daダ Silvaシりノァ Pintoピント通称Ciçaシッサを登堎させおのドラムを甚いた挔出が高埗点に繋がった。第四グルヌプは黒人女性䜜家のCarolinaカロリヌナ Mariaマリア deデ Jesusゞェスをテヌマずした。
サンバの゚ネルギヌず情熱は䜕凊から来るのか、参加者の衚情を画像に収めた。

February.15.2026

Mauá

Voyage122、むグアスを経おサントスぞ
先ずはりルグアむずブラゞル、3囜の囜境が接しおいる地点ぞ行き、戻っおホテルにチェックむン。
ゞャングルに囲たれたリゟヌトに2泊しお、むグアスの滝をブラゞルずアルれンチン偎から堪胜したが、陞地から䞀枚の写真に収めるには、滝はあたりにも広過ぎた。

3日目、サンパりロぞ飛び、サントスで船ず合流するため、あらためおアルれンからブラゞル偎に入囜したが、事前にフラむトのwebチェックむンが出来ず、パスポヌトの察面チェックがあったためず思われる。

サントスの旧垂街に昚幎12月1日、VLTラむトレヌル/ L2が開業したので利甚し、Conselheiro NébiasでL1に乗り換え、Barreirosに向かった。

Túnel José Menino隧道の䞭に、生掻しおいる人がおり、驚いた。
さらに前埌でも、線路甚地に入り蟌み、生掻しおいる人が目撃された。

Emmerichの付近はゎミが道路に溢れ、倧量のカラスが飛来しおそれを持っおいる。

あたりの衝撃的な光景に、日が倉わっお別の友達ずもう䞀床VLTに乗車しおValonguぞ向かったが、この日はサンバのため、VLTには思い思いのサンバ衣装をたずった人が途䞭駅から次々ず乗車しお来た。

我々はそれらの掟手な衣装をたずった人たちの埌を远っおMauáで䞋車しおサンバ䌚堎に入り、旧垂街をパレヌドするトラムの行進に぀いお行ったが、ひずたわりするのず䞊行しお屋台のカクテルやバヌベキュヌを賌入しお腹を満たした。
滞圚は短く垰船時刻が迫り、Wi-Fiを探すがUberが぀ながらず、付近の敎理にあたる芳光譊察にも詊しおもらい、枯たで送っおいただいた。

February.10.2026

¿Cero es cero?

voyage122、ブ゚ノスアむレス
䞀時䞋船5日目、カラファテ空枯からブ゚ノスアむレスに向かった。
鉄道博物通を蚪ね、危機遺産的な状態で保存されおいる朚造客車に驚嘆し、その埌adidasのショップを探しおメッシのナニフォヌムのレプリカを二着賌入した。
アルれンチンの若者はマヌキング字䜓に斜された现かな现工停造防止が䞻な目的ず考えられるが、䞊䞋の指暙にもなるなど、たったく気に止めない様子で、店員は躊躇するこずもなくれロの倩地をバラバラに転写したのでびっくりしたが、れロはひっくりかえっおもれロずいうこずか考え方や䟡倀芳の違いを感じた出来事であった。

February.08.2026

Patagonia

voyage122、りシュアむア〜䞀時䞋船
嘗お、アルれンチン政府が囜土を守るため、囚人をこの地に定䜏させ、築かせたずいうりシュアむア、南プゎ鉄道は森林から町ぞず朚材を運ぶために築かれたものが再生され、監獄は博物通ずなり遺産を今に残しおいる。
ここで船を降り、ロス・グラシアレス囜立公園に向かった。

県䞋に南パタゎニア氷原から流れ蟌む氷河が溶け出し、絵の具を溶かしたようなタヌコむズブルヌに染たったサンタクルス川ず、荒涌の倧地が芋えるずカラファテであるが、14幎前、南極の垰りのフラむトで空から眺めたずきは、氷河はもっず倧きかったず蚘憶しおいる。

ペリトモレノ氷河は、NHKが厩萜シヌンを攟映しおから、䞖界的に知られるようになったずいう。
20䞖玀初頭の゚ル カラファテは矊毛を茞送する拠点でした。入怍者たちは経隓に基づき、町を枓谷ではなく高原に圢成するよう提唱したした。高地に行くず叀い面圱を発芋出来るかもしれたせん。

February.02.2026

Centolla

Voyage122、プンタアレナス
マれランペンギンの島を蚪ねる珟地英語ガむドツアヌに参加するため、プンタアレナスの䞭心郚に䜍眮するアパヌトメントタむプのホテルを予玄、チェックむン埌Cerroセロ deデ laラ Cruzクルスの䞘から近いLa Yegua Locaで、ワむン゚アレヌタヌで泚いだたろやかなグラスワむンずずもに、名物のCentollaチリタラバ蟹ずPulpo en Mante ガヌリックバタヌでロヌストしたパタゎニア産タコをいただいた。

ここも䞀人歩きは掚奚されおいないが、最新の情報は、海倖クルヌズコミュニティサむト、cruise criticを参考にしおいる。

翌早朝、歩いお5分皋のツアヌオフィスから送迎バスでボヌト乗り堎ぞ、PBで旅行䞭の台湟から参加しおいる女の子らず䞀緒になる。
皆、日本語がわかり、賢く優しそうな可愛い子たちである。

我々は倧型クルヌザヌではなく、航行䞭屋根に䞊がるこずの出来る小型ボヌトを遞んだが、それは正しかった。
最初の航海ではOtariaオタリアパタゎニア アシカ、海鵜を芳察するためIsla Martaマルタ島に接近するが、この構造のおかげで、玠晎らしい写真を撮るこずが出来た。

次にマれランペンギンの営巣えいそうのあるIsla Magdalenaマグダレナ島に向かった。䞊陞しお、マれランペンギンに䌚い、オオミズナギドリや、成長した雛なども芋るこずが出来た。

ツアヌ埌は街で最も歎史あるShackletonシャクルトン Barで、Bruschettasブルスケッタをいただき、気候、倩気も良かったので、埀埩ずもシャトルバスに乗らず歩いた。

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